レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年05月10日
- 登録日時
- 2019/07/27 10:16
- 更新日時
- 2019/08/07 11:53
- 提供館
- 岐阜県図書館 (2110001)
- 管理番号
- 岐県図-2482
- 質問
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解決
明智光秀の生存伝説について、現在の山県市に落ち延びた、僧天海となったとする伝説があるが、それについて触れた図書・論文がないか。
- 回答
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明智光秀の山崎合戦後の生存説については、以下の資料で紹介されている。なお、論文の体裁をとった資料は見つけられなかった。
1 『「異説」日本人物事典』(三省堂,1983年)
… p.31~p.35に明智光秀に関する項目があり、両方の説を紹介している。出典について、山県市説は江戸時代中期の随筆『翁草』に記されていることを挙げている(下記2)。また天海説については「明智滝朗(明治19年生まれ)などの説くところを整理」したとしている。
2 『翁草』(神沢貞幹著 安永5年(1776)序文 歴史図書社,1970年刊の翻刻版を参照)
… 巻122「雑話」に、明智光秀が「濃州中洞仏光山西洞寺」に隠れたことが記されている(翻刻版3巻p.1880)。
3『光秀行状記』(明智滝朗著 中部経済新聞社,1966年刊)
… p.267~285まで、天海説について触れられている。
なお、天海説については大正時代に刊行された天海の伝記『大僧正天海』(須藤光輝著 冨山房,1916年刊)でも「奇説」として否定的に触れられており(p.595~596)、明智滝朗氏の著作より前からあった説らしい。
また、山県市説については、現山県市中洞ではなく洞戸村(現関市洞戸)の話として記載されている資料もある。
4 『美濃雑事紀』(成立年代不明(江戸後期か)『美濃明細記』との合冊復刻版(大衆書房,1969年刊)を参照)… p.671に「洞戸村の光秀裔」として記載がある。
- 回答プロセス
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レファレンス協同データベースに類似事例があったので、それを参考に当館の所蔵資料をあたる。
・明智光秀は捕らえられず、後に「天海僧正」(日光東照宮建立の中心人物で、百歳を超える長生き)となったという説があるが、八切止夫の作品がその説の最初か
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000000249 (2019年7月確認)
・山崎の合戦で亡くなったのは明智光秀ではなく、影武者の荒木山城守行信であったという話があるが、史実なのか。
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000000249 (2019年7月確認)
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000259188