レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年06月15日
- 登録日時
- 2015/03/28 14:48
- 更新日時
- 2015/05/01 16:01
- 管理番号
- 埼熊-2014-117
- 質問
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解決
泉岳寺が浅野家(内匠頭)の菩提寺となった経緯が知りたい。
- 回答
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以下の資料に記述がありこれを紹介した。
『日本史大事典 4』(平凡社 1993)
p260「泉岳寺」の項に「一六一二年(慶長十七)徳川氏により外桜田に創建され、(中略)41年(寛永18年)現在地に移転し、浅野家、毛利家、朽木家などの菩提寺となった。」とあり。
『地名で読む江戸の町 PHP新書 146』(大石学著 PHP研究所 2001)
p124に「泉岳寺は徳川三代将軍家光の命により、浅野家と縁故を結んだと言われる。」とあり。
《曹洞宗 江戸三ヶ寺 萬松山 泉岳寺》(http://www.sengakuji.or.jp/ 泉岳寺 2014/06/14確認)
「寛永18年(1641年)の大火によって伽藍が焼失、三代将軍家光(1604年~1651年)の命により現在の高輪の地に移転再建されました(一説に移転は正保年間〈1644年~1648年〉とも)。この移転に際しては、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷(みずのや)の五大名が尽力して完成したその因縁により、爾後この五大名が共に檀越となり外護の任に当っています。」 「また、赤穂藩主浅野家の菩提寺であったことから、元禄15年の義挙(1702年12月14日)の後は、赤穂四十七義士の墓所としても知られ(後略)」とあり。
- 回答プロセス
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参考図書のほか、インターネット情報を検索して該当した資料を確認した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 寺院.僧職 (185 9版)
- 参考資料
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- 『日本史大事典 4』(平凡社 1993) , ISBN 4-582-13104-2
- 『地名で読む江戸の町 PHP新書 146』(大石学著 PHP研究所 2001) , ISBN 4-569-61548-1
- 《曹洞宗 江戸三ヶ寺 萬松山 泉岳寺》(http://www.sengakuji.or.jp/ 泉岳寺 2014/06/14最終確認)
- キーワード
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- 泉岳寺
- 浅野氏
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000170020