レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/06/08
- 登録日時
- 2014/12/03 17:30
- 更新日時
- 2015/03/11 13:15
- 管理番号
- 埼久-2014-103
- 質問
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解決
承久の乱(1221年)の後、順徳天皇は佐渡に流されたが、配流となる経緯、佐渡での暮らしや誰がまわりにいたのか等が書かれている資料を読みたい。
- 回答
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以下の資料を紹介した。
『順徳天皇とその周辺』(芸林会編 臨川書店 1992)
本書は順徳天皇研究の論文集。
p28 承久の乱の経緯(宮方の完敗)
p30 順徳天皇の佐渡への遷幸について記述あり。
p227 「佐渡の順徳院」に佐渡へのお供の名前や船出の様子が詳しく書かれている。「佐渡島の御在島が、22年という長い歳月にもかかわらず、正確な記録が残っていないのは、まことに残念である。しかし、この悲劇の帝をお慕い申す島人の間には、多くの伝説が生まれ、それを今に長く語り伝えている」との記述あり。
『順徳天皇佐渡聖蹟誌』(山本修之助著 佐渡聖蹟奉讃会 1942)
p2- 承久の乱に敗れて佐渡へ遷幸されること、お供の名前について記述あり。
『順徳天皇佐渡の御遺跡』(山本修之助著 順徳天皇奉讃会 1959)
p10 承久の乱に敗れて佐渡へ遷幸されること、お供の名前について記述あり。「御日常は、仏の勧行と歌道の御精進をもっぱらにせられ」とあり。
『天皇皇族実録 56 順徳天皇実録』(藤井讓治、吉岡眞之監修・解説 ゆまに書房 2008)
p438 承久3年7月21日佐渡国ニ遷幸アラセラル など、各種資料からその出来事に関係する記事を転載している。ただし原文のまま。
「特集 順徳天皇と佐渡」『歴史研究 378』(歴史研究会 1992)
p16 順徳天皇25歳のときに4歳の仲恭天皇に譲位し、倒幕の兵を挙げた。これに敗れて執権北条義時が仲恭天皇を廃し、順徳上皇らを佐渡などへ遷幸した。暮らしやまわりの人物の記述もあり。
宇津木言行著「順徳院-都から佐渡へ(特集・古典文学に見る日本海-流人と旅人の日本海)」(『国文学 解釈と鑑賞 69-11』p152-156 至文堂 2004)
佐渡への遷幸に従った2名の名前について記述あり。
錦仁著「佐渡の流人-順徳院・冷泉為兼・世阿弥など、中世文学の始発へ遡る(特集・佐渡の文学と歴史-島の位相)」(『国文学 解釈と鑑賞 64(8)』p14-22 至文堂 1999)
p16 遷幸に従った5名の名前について記述あり。
- 回答プロセス
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自館目録を〈書名 順徳天皇〉で検索しヒットした資料を調査する。
《WHOPLUS》(商用データベース 日外アソシエーツ 2014/06/10最終確認)を〈順徳天皇〉で検索し、ヒットした雑誌記事を調査する。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 『順徳天皇とその周辺』(芸林会編 臨川書店 1992) , ISBN 4-653-02516-9
- 『順徳天皇佐渡聖蹟誌』(山本修之助著 佐渡聖蹟奉讃会 1942)
- 『順徳天皇佐渡の御遺跡』(山本修之助著 順徳天皇奉讃会 1959)
- 『天皇皇族実録 56 順徳天皇実録』(藤井讓治、吉岡眞之監修・解説 ゆまに書房 2008) , ISBN 978-4-8433-1997-0
- 『歴史研究 378』(歴史研究会 1992)
- 『国文学 解釈と鑑賞 69-11』(p152-156 至文堂 2004)
- 『国文学 解釈と鑑賞 64(8)』(p14-22 至文堂 1999)
- キーワード
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- 順徳天皇
- 日本-歴史-伝記
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000163969