レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年3月26日
- 登録日時
- 2018/03/22 17:44
- 更新日時
- 2018/03/28 11:09
- 管理番号
- 140
- 質問
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解決
尼崎市猪名寺1丁目の猪名寺廃寺跡にある同廃寺の塔の心柱礎石には、中央部の柱座孔とは別に表面の縁近くに単独で小孔がうがたれている。この孔について舎利孔(しゃりこう)と説明する資料があるが、舎利孔というのは柱座孔の中央部にさらにうがたれるものではないのか?
- 回答
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猪名寺廃寺跡は、7世紀後半建立と推定される古代寺院の遺跡です。心柱礎石が、現在同地に建つ法園寺(ほうおんじ)本堂北側に置かれており、礎石上面中央部の柱座孔とは別に、縁近くに小孔が単独でうがたれています。
この遺跡を大正12年(1913)に調査した仏教考古学者・石田茂作氏は、著書『飛鳥時代寺院址の研究』において小孔の解釈に苦しむとしつつ、強いて想像すれば舎利孔(仏舎利を納める孔)ではないかと推定しています。一方、『尼崎市史』第11巻は、このような小孔は他に例を見ず、舎利孔は心礎直下にあるのが通例で他の位置に安置された例も若干知られているものの、舎利孔と断定するにはなお検討の余地があると考察しています(p298~299、村川行弘執筆)。
猪名寺廃寺心礎 花崗岩製 長径2.50m 短径1.89m
上面中央部の円形凹式柱座 径0.74m 深さ0.17m 周囲3.03m高さ29.69mの三重塔の心柱を受ける柱座孔と推定
上面端 柱孔心から0.86mの位置 径0.12mの正円小孔 孔底は丸く湾曲 深さは側壁で0.12m、中心底で0.13m
(『尼崎市史』第11巻による)
- 回答プロセス
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猪名寺廃寺跡に関する調査報告文献
◆石田茂作「猪名寺の研究」(同『飛鳥時代寺院址の研究』聖徳太子奉賛会、1936)
「塔中心礎石にかかる小孔を穿った例は、他に見ないところで、甚だその解釈に苦しむが、強いて想像すれば、常ならば柱穴の中央に穿つべき舎利奉安孔を便宜上ここに造ったのでは無いかと思ふ」とする(p564註一)。
◆尼崎市文化財調査報告第1集『猪名寺廃寺址発掘調査報告(第一期)』(尼崎市教育委員会、1952)
◆尼崎市文化財調査報告第16集『尼崎市猪名寺廃寺跡』(尼崎市教育委員会、1984)
石田茂作氏の見解を紹介し、他に類例をみないものなので、舎利孔か否かの断定は今後の研究に待つとする。
◆『尼崎市史』第11巻(尼崎市、1980)
「このような小孔は他に例をみないもので、舎利孔が考えられる」「通例の心礎直下の所以外に安置された例も若干知られている」「柱座孔と同面にある小孔を舎利孔と断定するにはなお検討の余地があろう」と考察している(p298~299、村川行弘執筆)。
- 事前調査事項
- NDC
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- 歴史補助学 (202)
- 近畿地方 (216)
- 参考資料
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石田茂作 著 , 石田, 茂作, 1894-1977. 飛鳥時代寺院址の研究. 聖徳太子奉讃会, 1936.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000724164-00 (1977年第一書房復刻) -
猪名寺廃寺址発掘調査報告 第1期. 尼崎市教育委員会, 1952.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001476984-00 (当館請求記号 709.1/A/ア-1) -
尼崎市教育委員会社会教育課 編 , 尼崎市教育委員会. 尼崎市文化財調査報告 第16集 (尼崎市猪名寺廃寺跡). 尼崎市教育委員会, 1984.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001688077-00 (当館請求記号 709.1/A/ア-16) -
尼崎市史 第11巻 付図. 尼崎市役所, 1980.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I077920318-00 (当館請求記号 219/A/ア-11)
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石田茂作 著 , 石田, 茂作, 1894-1977. 飛鳥時代寺院址の研究. 聖徳太子奉讃会, 1936.
- キーワード
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- 猪名寺廃寺
- 舎利孔
- 礎石
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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Web版図説尼崎の歴史古代編第2節1「古代寺院・猪名寺廃寺」(長山雅一執筆)
猪名寺廃寺礎石の写真を掲載
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/chronicles/visual/01kodai/kodai2-c1.html
- 調査種別
- その他
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000232898