レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年04月01日
- 登録日時
- 2018/08/18 13:56
- 更新日時
- 2018/08/18 13:56
- 管理番号
- 市川20180401-03
- 質問
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解決
岡本太郎の祖父である岡本可亭(本名 岡本竹次郎)が市川市国府台の共同墓地に眠っていると個人サイトで見た。また、『私家版里見公園新聞 第20号』(木ノ内博道/著 2007)にも関連記事が載っているのを確認したが、この他に国府台の墓と岡本家に関わる資料はないか。
- 回答
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岡本可亭の墓については、千葉県立図書館の千葉県情報データベース「菜の花ライブラリー」で「岡本太郎」「墓」で検索すると、千葉日報1994.3.20.県西版の記事が見つかり、可亭の墓が国府台の共同墓地にあることが確認できた(写真あり)。
また『一平全集 第20巻』(大空社 1991 県立西部所蔵)p.347にも「大正七年に家督を一平[可亭の子]に譲った竹次郎は、すでに癌にむしばまれており、翌年に世を去った」「竹次郎は晩年を過ごした千葉県市川市国府台の隠居の近くの共同墓地に眠っている」とある。
ほかに、『「北大路魯山人と岡本家の人びと」展』(川崎市岡本太郎美術館 2005 県立中央所蔵)の巻末年譜から、京橋在住時代に奉公に来ていた石井千代と家族が気が合い、大正6年ごろ千代の実家のある国府台3丁目に隠宅を設け妻の正と移り住んだこと、大正7年10月7日に家督を一平に渡し戸主とし、昭和13年に正が国府台で死去した後、隠宅は一平から石井家に譲渡されたことなどが分かる。
『私家版里見公園新聞 第20号』には、一平の家を購入した人からの聞き書きが掲載されており、「一平さんのお墓はここの共同墓地にあったが、一部は岡本太郎が多磨霊園に移しましたね。」とある。
一方、『岐阜の岡本一平』(黒野こうき/著 2008 ブックショップマイタウン 県立東部所蔵)には、一平の葬儀は終焉の地となった岐阜県加茂郡で行われ、「遺骨は分骨され東京の太郎(多摩霊園)と田立〔長野県木郡〕の藤田啾漣(禅東院)が引き取る。」(p.175)とある。
また、田立の遺骨は「昭和六十一年四月二十日の一平句碑除幕式の日に、太郎が持って帰るまで禅東院にあった」(p.124)と書かれており、『私家版里見公園新聞』と記述の違いが見られるが、それ以上の詳細は所蔵資料では確認できなかった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000240880