レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年08月03日
- 登録日時
- 2018/12/11 00:30
- 更新日時
- 2019/10/02 00:30
- 管理番号
- 3A18002386
- 質問
-
未解決
北川央「大阪における城下町の歴史遺産と町づくり」(『歴史遺産と都市文化創造3』大阪市立大学大学院文学研究科都市文化研究センター, 2006.3)p.95に
「大坂城(徳川大坂城)は、三代将軍徳川家光の代に完成し、寛永11年(1634)閏7月25日に家光が入城した。そして翌日、家光は西の丸の乾櫓に登って窓から金の采配を振り、大坂三郷の地子を永代免除する旨伝えたのであるが、これに感謝した三郷の町人たちは(中略)一つの鐘を鋳造して、(中略)時報の鐘として用いた。」とあるが、「家光は西の丸の乾櫓に登って窓から金の采配を振り」について、出典となる史料を知りたい。
また、「乾櫓」は「摂津名所図会」にある「高麗橋筋の櫓」にあたるのか?
- 回答
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残念ながら、出典となる史料は判明しませんでした。
また、乾櫓が高麗橋筋の櫓にあたるのか否かについても判明しませんでした。
『大阪府全志 巻之二』(井上正雄/著 清文堂,1985)
p.318-319「釣鐘屋敷」の項に、「将軍家光京都より下りて大阪城に入り、翌二十六日の朝高麗橋筋の矢倉に登り、金麾を出して」との記述がありましたが、出典は記載されていません。
『東区史 4 文化篇』(大阪市東区法円坂町外157箇町区 会/編 大阪市東区役所, 1941)
p.1174-1175「二二 釣鐘屋敷址」の項に、「高麗橋の矢倉に金麾の出づるは即ち赦免の證なる旨が達せられた。」との記述がありましたが、出典は記載されていません。
『大阪市史 第5 』 (大阪市/[編] 清文堂出版,1965)
p.17「大阪堺地子銀免除」の項に、「高麗橋筋矢倉前芝野へ(中略)公方様矢倉へ出御、金の御麾を窓より被為出候」との記述がありましたが、出典は記載されていません。
『新修大阪市史 第3巻』(新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市, 1989)
p.198-200「第二章 復興と整備 第一節 幕府支配の成立と進展 4 大坂の特権都市化」の中の項「将軍家光の来坂」に、「翌二十六日、将軍家光は午前六時ごろ二の丸高麗橋筋の櫓に臨み、その窓から金の麾(采配)を振った。」との記述があります。出典は『比田氏諸留』と記載されています。
『大阪編年史 第5巻』(大阪市立中央図書館/編集 大阪市立図書館,1968)
上記『大阪市史』の出典となった史料を活字におこしたものです。地子銀赦免に関わる出典と思われる史料の記述が下記の箇所にあります。
p.114-122寛永十一年閏七月『攝陽落穗集』
p.122-123 同『浪速濫觴記 二』
p.127-130 同『大坂三郷町中御取立承傳記』
『時の鐘 ‐里帰り記念誌-』(ブレーンセンター/編 大阪府,1985)
p.12-15宮本又次「釣鐘屋敷と時報」に『浪華百事談』の引用があり、「御城高麗橋筋角やぐらの下芝座に相つめ、(中略)角矢倉より上意の金の麾(さいはい)を出したり。」との記述がありましたが、出典は記載されていません。
『日本随筆大成 第3期 2 浪華百事談』(日本随筆大成編輯部/編 吉川弘文館,1995)
p.[1]-287に『浪華百事談』が収録されており、p.57に 上述の『時の鐘 ‐里帰り記念誌-』に記載されていた内容が確認できました。
『大阪春秋 第34号 特集:大阪城四○○年』(大阪春秋社,1982)
p.56-62 池田半兵衛「大阪町人のいのちをかけた『時の鐘』-「大阪三郷町鐘」のロマン」のp..57に、「やがて、朝日がのぼって天守閣を染めると、乾矢倉からさっと金の麾(さいはい)が打ち振られた。家光自ら、「大坂三郷永代地子銀赦免」を宣言する合図だった。」と記述があります。p.56には「乾矢倉は西の丸の西北かどを引き廻して、三方正面の矢倉とも呼ばれ」との記述がありましたが、出典は記載されていません。
- 回答プロセス
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1.当館データベース「大阪関係資料目次検索」(外部非公開)をキーワード“釣鐘屋敷”で検索し、資料1、2、3が見つかる。
2.家光入城の年月日がわかっているため資料4で該当する年月日を確認。
3.当館データベース「大阪関係資料目次検索」(外部非公開)をキーワード“地子銀”で検索し、資料5が見つかる。
4.国立国会図書館レファレンス協同データベースの過去の事例「大阪市東区釣鐘町の釣鐘屋敷にあった鐘の鐘文が活字になったものはないか。」( https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000137137 )(2018.12.11確認)の参考資料を確認し、資料6、7が見つかる。
5.資料6の引用資料8を確認。
- 事前調査事項
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「摂津名所図会」「摂津名所図会大成」の上町釣鐘の項には、「乾櫓」「金の采配」とも記されていないようだ。
- NDC
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- 近畿地方 (216 9版)
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 当館書誌ID <0000342137> 新修大阪市史 第3巻 新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市 1989 (資料1)
- 当館書誌ID <0000172307> 大阪府全志 巻之2 井上 正雄/著 清文堂 1985 9784792402716 (資料2)
- 当館書誌ID <0080249908> 東区史 4 文化篇 大阪市東区法円坂町外157箇町区 会/編 大阪市東区役所 1941 (資料3)
- 当館書誌ID <0080239222> 大阪編年史 第5巻 自寛永元年正月至萬治三年十二月 大阪市立中央図書館/編集 大阪市立中央図書館 1968.11 (資料4)
- 当館書誌ID <0080102570> 大阪市史 第5 大阪市/[編] 清文堂出版 1965 (資料5)
- 当館書誌ID <0080196647> 時の鐘 -里帰り記念誌- ブレーンセンター/編 大阪府 1985 (資料6)
- 当館書誌ID <0070031891> 大阪春秋 -大阪の歴史と文化と産業と- 第34号 特集大阪城四〇〇年 大阪春秋社 1982 (資料7)
- 当館書誌ID <0000453694> 日本随筆大成 第3期 2 浪華百事談 日本随筆大成編輯部/編 吉川弘文館 1995.6 9784642090490 (資料8)
- キーワード
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- 大阪府中央区
- 釣鐘屋敷
- 高麗橋筋櫓
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000248051