レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009年02月03日
- 登録日時
- 2009/03/05 12:41
- 更新日時
- 2010/04/04 12:23
- 管理番号
- 福若-2009-0203
- 質問
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解決
室町期の茶人 武野紹鴎(たけのじょうおう)の祖父、また出自について知りたい。
- 回答
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武野紹鴎に関する資料からでは、祖父は「武田仲清」となっており、これは若狭武田氏側の資料では出てこない。
一方、若狭武田氏に関する資料では「武田信孝」は武野紹鴎とほぼ同時代の人物で、祖父とすることは困難。
唯一「武野燭談」という史料で、紹鴎=信孝とする内容の可能性があるが、史料の信頼性は不詳。
- 回答プロセス
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① Googleで「武野紹鴎」「武田信孝」で検索する
→ ウィキペディアの「武野紹鴎」のページには、「武田信孝の孫」との記載があるが、典拠等はない。
「武田信孝」は、下②「若狭武田氏」HP 以外は、有用なページ等なし。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E9%87%8E%E7%B4%B9%E9%B4%8E (090203確認)
② 茶道事典・人名事典等で、武野紹鴎について調べる
・『角川茶道大事典』本編 角川書店 1990 (791/カ)
:p824~825 紹鴎の祖父は「武田仲清」で応仁の乱で戦死した、と記載あり。
・『日本人名大事典』第4巻 平凡社 1986 [1937の複製](281/ニ/4)
:p120 先祖が武田氏、と記載あり。
③ 若狭武田氏関係の文献を調べる
→ 以下の資料に「武田信孝」についての記述がある。「仲清」については記述なし。
・『戦国の若狭』大森宏著 1996 (H264/オオモ)
:p80~82 武田信孝・粟屋元隆の反乱についての記述あり。
・『小浜市史』通史編 上巻 1992 (H275/オ/2-1)
:p632~635 上の資料と同様の記述あり。
・「若狭武田氏」HP http://wakasa.k-server.org/(090203確認・センターHPリンク集にあり)
:「五代・元光」の事績,「年表その3」に上の資料と同様の記述あり。
*『安芸・若狭武田一族』『中世若狭を駆ける』『私本若狭太平記』には、関連部分なし。
④ 若狭武田氏関係の系図を調べる
・『群書系図部集』第三 続群書類従完成会 1985 (288.2/ク/3)
:原本は「群書類従」系図部。第121巻~123巻が武田氏系図で、p52~65は「若州武田系図」となっている。「仲清」「信孝」ともに記載なし。
*ほか『系図纂要』等にも記載なし。また、②の資料の付図等では、「若狭武田氏」HPの年表に「信孝」が四代元信の子とあるほかは、記載なし。
⑤ 本館から、武野紹鴎関係の資料を取寄せる
・『武野紹鴎研究』第三版 戸田勝久著 中央公論美術出版 2001 (791.2/トタ)
:p2紹鴎の祖父は「武田仲清」で応仁の乱で戦死した、と記載あるほか、仲清の兄弟や子供の「信久」についても、やや詳しい記述がある。
*ほか『武野紹鴎 茶と文芸』『武野紹鴎 茶の湯と生涯』等にも同様の記載あり。
⇒ 以上より次のことがわかる。
・各研究書や人名事典等では「武田仲清」が祖父となっている。これは「武野家系図」による。「武田信孝」を祖父とするものは、ウィキペディア以外確認できない。
・若狭武田氏関係の資料や系図では「仲清」は出てこない。「信孝」は複数の資料に出てくるが、紹鴎と同時代頃の人物。
⑥ 小浜市立図書館に問合せる
→ 酒井家文庫に「武野燭談」という史料があり、武田信孝が武野紹鴎と名を変え、堺で茶人となった、という内容をもつ、とのこと。
(小浜市立図書館で閲覧可能)
*『国書総目録』(日本古典籍総合目録のサイト)では酒井家文庫ほか全国で複数所蔵あり。
- 事前調査事項
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若狭武田氏の一族「武田信孝」が祖父にあたると聞いた。ウィキペディアにも記述がある。
- NDC
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- 茶道 (791 8版)
- 北陸地方 (214 8版)
- 参考資料
- キーワード
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- 武野紹鴎
- 武田仲清
- 武田信孝
- 若狭武田氏
- 照会先
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- 小浜市立図書館
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000052081