レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/02/27
- 登録日時
- 2018/02/15 00:30
- 更新日時
- 2018/02/21 09:55
- 管理番号
- 茨城-2017-002
- 質問
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解決
いわき市勿来町窪田大槻にある茨城県北茨城市関本町関本上との住所表記の飛地について,飛地になった理由,経緯について知りたい。
- 回答
-
飛地になった理由,経緯につい て記載されている文献は見つからなかった。
- 回答プロセス
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調査資料(記載がなかったもの)
『角川日本地名大辞典 8 茨城県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会編, 角川書店,1983)
『日本歴史地名大系 8 茨城県の地名』(平凡社,1982)
『茨城県史 近現代編』(茨城県史編集委員会/監修 茨城県,1984)
『茨城県史料 近代政治社会編4』(茨城県立歴史館/編,茨城県,1990)
『北茨城市史 上・下巻』(北茨城市史編さん委員会/編集,北茨城 市,1986~1987)
『茨城「地理・地名・地図」の謎』(小野寺淳/監修,実業之日本社,2014)
『しらなかった!驚いた!日本全国「県境」の謎』(浅井建爾/著,実業之日本 社,2007)
『「県境」のヒミツ』(秋山忠右/写真,PHP研究所,2009)
『知らなかった!「県境」「境界線」92の不思議』(浅井建爾/著,実業之日 本社,2013)
『茨城県成立史』(瀬谷義彦/著,筑波書林,1983)
『茨城の歴史 県北編』(茨城地方史研究会/編,茨城新聞社,2002)
『茨城県郷土研究』(茨城大学教育研究所/編,茨城県教職員組合,1953)
『茨城県市町村合併史』(茨城県総務部地方課/編集,茨城県地方自治研究 会,1958)
『茨城県市町村総覧』(茨城県市長会/編集,茨城県町村会,1957)
『地方政治単位の変遷 茨城県内の場合』(江原忠昭/著・刊,2005)
『入会権の研究 茨城県多賀郡関本村実態調査報告書』(茨城大学法社会学研究 会/編,茨城県文書課,1956)
『多賀郡郷土史』(塙泉領/編,宗教新聞社,1925)
『旧高旧領取調帳 関東編』(木村礎校訂,近藤出版社,1969)
『いわき市史 第3巻』(いわき市史編さん委員会/編,いわき市,1993)
『いわき市史 第5巻』(いわき市史編さん委員会/編,いわき市,1973)
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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いわき市勿来地区地域史編さん委員会 編. いわき市勿来地区地域史 : 先人と未来人の絆を紡ぐ歴史を今に 1 (自然環境/原始-古代-中世-近世/民話). いわき市勿来地区地域史編さん委員会, 2012.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I023527030-00 -
北茨城市 , 北茨城市史編さん委員会 編. 北茨城市史 上巻. 北茨城市, 1988.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002611765-00
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いわき市勿来地区地域史編さん委員会 編. いわき市勿来地区地域史 : 先人と未来人の絆を紡ぐ歴史を今に 1 (自然環境/原始-古代-中世-近世/民話). いわき市勿来地区地域史編さん委員会, 2012.
- キーワード
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- 飛地(トビチ)
- 飛び地(トビチ)
- 北茨城市(キタイバラキシ)
- いわき市(イワキシ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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【2018/02/09追記】
江戸時代の窪田村と常陸国3か村の境界争いの説明に,次の記述あり。
・『いわき市勿来地区地域史 1』
p.171-172 「村境・国境の決め手となった検地帳の効力」
「現在、地図上で福島県と茨城県の境界域をみると、ほとんど稜線伝いが行政境となっているが、この地域だけが入り組んで、沢沿いに境界となっていることがわかる。これは、このときの国境裁定の結果に基づくものである。」(p.172)
・『北茨城市史 上巻』
p.413-416 第3章 近世前期の村むら-第1節 村の成立と農民支配-村境争論
「幕府は、旧検地帳ならびに古証文のとおり、東は中野より西は矢の目山まで、沢通りを両国境線と定めたのである。…(略)…検地によって確定した村切りは、後世まで変わることはなかったのである。」(p.415)
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土,地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000230720