レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016/3/11
- 登録日時
- 2016/04/21 00:30
- 更新日時
- 2018/05/30 19:28
- 管理番号
- 滋2015-0059
- 質問
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解決
『福井県史 通史編3』によると、「十一月二日に勝家は軍勢を長浜に派遣するとともに(中村不能斎採集文書)、もし戦闘となれば降雪のために兵力や武器・弾薬の補給が困難となることを恐れて、時間稼ぎのために勝豊・前田利家・不破勝光・金森長近を秀吉のもとに遣わし講和を試みさせている。しかし秀吉は講和すると見せて、十二月には長浜城の勝豊を包囲した(『兼見卿記』)。勝家の援軍が雪に阻まれているなかで勝豊は秀吉に降伏し、この後は秀吉方となる。」とある。ここにあるように、雪の季節(11月~3月)に北陸から滋賀県に出兵するのは困難なのか。この時期に北陸から兵を出した記録はないか。
- 回答
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『福井県史 年表』によれば、戦国時代において11月~3月の降雪期に越前国から近江国への出兵は、天正11年3月3日(旧暦)に「柴田勝家軍が、北荘をたって近江国伊香郡柳ヶ瀬に本陣を構えた」ことのみで、他にはありませんでした。あわせて、『長浜市史8 年表・便覧』も確認しましたが、越前国から近江国への出兵については、上記の柴田勝家のものだけでした。
「勝家の援軍が雪に阻まれているなかで勝豊は秀吉に降伏し、この後は秀吉方となる。」とありますが、天正10年12月20日の稱名寺文書に「雪ふかく候て通路一切無之」とあることから、相当積雪があったと推測され、柴田勝家が進軍できなかったと思われます。
また『賤ヶ嶽合戦記』には、豊臣秀吉の言葉として「中冬より中春迄は深雪なるを以上方へ出撃ならさるの條」とあり、この時期に柴田勝家が出陣しにくい様子が記述されています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 8版)
- 参考資料
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- 1 福井県史 年表 福井県∥編 福井県 1998年 5-2101-24 p.194
- 2 長浜市史 第8巻 年表・便覧 長浜市史編さん委員会∥編集 長浜市役所 2004年 S-2161-8 p.52-74
- 3 滋賀縣史 第5巻 参照史料 滋賀県∥編 弘文堂書店 1986年 S-2100-5 p.343
- 4 史籍集覧 第13冊 近藤瓶城∥編 すみや書房 1968年 2-2100-シ p.343
- キーワード
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- 柴田勝家
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000191479