レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/11/19
- 登録日時
- 2013/12/11 00:30
- 更新日時
- 2014/02/27 14:28
- 管理番号
- 1000000787
- 質問
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解決
沖縄県南部にある「真玉橋」の歴史について知りたい。
- 回答
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以下の資料を案内した。
1 『沖縄大百科事典 下 ナ~ン』(沖縄大百科事典刊行事務局、沖縄タイムス社、1983年)
p517「真玉橋」の項で、「創建は1522年(尚真46)で、木橋五座。」、「1707年(尚貞39)石橋に改修された」、「沖縄戦で破壊、現在※の橋は1963年(昭和38)の築造。」と説明がある。※沖縄大百科事典発行時
2 『沖縄の土木遺産』(「沖縄の土木遺産」編集委員会、沖縄建設弘済会、2005年)
p48-59「木造から石造橋へ~真玉橋の変遷とその構造~」(久保 孝一)で以下のとおり説明がある。
p48「はじめに」の項で、「真玉橋の架替え工事が2002(平成14)年に完了した。・・・沖縄石造文化の精華であったこの石造アーチ橋は、惜しくも沖縄戦の退却時破壊され、その後、米軍が鉄の橋、1963年には琉球政府によってコンクリート橋が架けられて来た・・・。」と説明がある。
p51「最初の橋の建設目的(真珠湊碑文)」の項で、「真玉橋が国場川の河口、漫湖(『中山伝信録』では玉湖、『南島風土記』では真玉湊)に最初に架けられたのは、1552(尚真46)年、第2尚氏第3代国王尚真によってである。」とあり、真玉橋建設の目的について説明がある。また、「南北の防備の道を完成し国の政治の安定を確保した尚真は、1522(尚真46)年4月9日、現地に最高神女・聞得大君を迎え、一大土木事業の落成式を挙行した」と説明がある。
p52-53「木橋から石造橋へ(重修真玉橋碑文)」の項で、「1522年の最初の架橋から1708年の石橋改修まで186年間は、木橋であり、・・・。・・・いよいよ、国王から毛光炳(高嶺親方盛富)に石橋改修の命令が下されることになった。最初の石造アーチ橋は1707(尚貞39)年9月に工事を開始し、1708年春3月26日に完成する。」と説明がある。
p53「2度目の石橋改修」の項で、2度目の石橋改修について「工事は、1836(尚育2)年3月に起工して翌年1837年に完工する」とあり、また、工事に至ったいきさつや要した人員・費用について説明がある。
p57-58「新しい真玉橋の役割」の項で、「・・・平成5年度から交差点改良と合わせて橋梁整備をすることとなった。新真玉橋の架替え建設が終了し、平成14年度に供用が開始された。」と説明がある。
3 『真玉橋之記』(久保孝一 著・刊、1990年)
p44「真玉橋は、はじめは一五二二年に尚真王が創建、当初五つの木橋であった。その後、一七〇八年に石橋に改修、一八〇九年、世寄橋大雨のため破損したので木橋を架し、一八三七年、石造の世寄橋とその北に同じく石造の世済橋を築造してきたことがわかる。」、「現在※、我々が見る真玉橋は、戦後米軍が鉄橋で架けていたものを、昭和三十八年(一九六三年)に改修したものである。」と説明がある。※『真玉橋之記』出版時
p84「図-18真玉橋(勾欄)」で「真玉橋の欄干は最初から造られてなく、大正年間になって、台風、強風時の危険を考慮して増設された。」と説明がある。
『真玉橋之記』は、真玉橋に関する文献や絵図・写真が多数掲載され、詳細な説明がある。
4 『琉球史辞典』(中山盛茂、文教図書、1975年)
p768「真玉橋」の項があり、「建設の年を尋ねると一五二二年尚真王の時代の創建でその後一七〇八年及び一八三六年の二次の修補を経て今日に至ったが今次大戦で完全に破壊された」と説明がある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 歴史 (2 9版)
- 参考資料
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- 1 沖縄大百科事典 下 ナ~ン 沖縄大百科事典刊行事務局∥編 沖縄タイムス社 1983.5 K03/O52/3 p517
- 2 沖縄の土木遺産 「沖縄の土木遺産」編集委員会∥編 沖縄建設弘済会 2005.5 K51/O52 p48-59
- 3 真玉橋之記 久保 孝一∥著 久保孝一 1990.3 K51/KU11 p44 p84
- 4 琉球史辞典 中山 盛茂∥編著 文教図書 1975.3 K200.3/N45 p768
- キーワード
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- 真玉橋
- 尚真王
- 石橋
- 毛光炳
- 高嶺親方
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000141708