レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年02月15日
- 登録日時
- 2019/05/28 14:09
- 更新日時
- 2019/06/19 15:02
- 管理番号
- 堺-2019-006
- 質問
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解決
堺小児保健所という施設があったと聞いている。施設がどこにあったのか知りたい。大阪府の設置で、昭和の初めころのことと思う。
- 回答
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『近代大阪の乳児死亡と社会事業』(大阪大学出版会,2016) p.178-
「小児保健所」は、1927年(昭和2年)7月、大阪において、府、市、医療機関や社会事業団体を連絡調整する組織として「大阪乳幼児保護協会」がつくられ(会長:大阪府知事、副会長:大阪市長)、同10月その政策指針である「乳幼児保護に於ける社会的施設の最低標準」と合わせて「小児保健所設置計画」が発表され、設置が始まったもの。昭和12年保健所法が制定されて以後設置された保健所とは異なる。
大阪府立中央図書館所蔵の『財団法人大阪乳幼児保護協会要覧』(S12 財団法人大阪乳幼児保護協会)を確認したところ、口絵に「大阪市ニ於ケル小児保健所分布図」があり、堺市は含まれていなかったが、その説明に、「外ニ 」として「堺小児保健所 (開所年月)昭和四年一月 (所在地)堺市西湊町四九一」とあった。
p.9「小児保健所一覧表」でも、「堺小児保健所」が上記と同内容「(阪堺線御陵前南三丁)」の補記つきで掲載されている。
『堺市衛生施設概要. 昭和11年』(堺市,昭和11-14) p.55 国立国会デジタル化資料コレクションにあり(一般公開)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1071514
によると、
「本市社会課附属の社会事業協会で、昭和四年四月より堺小児保健所を市立堺市民病院に設け毎週月水金の三日間午後一時から同三時迄同院の小児科医長が生後から数へ年六歳までの小児に対して育児と営養に就て無料相談に応じ、病者に対しては無料で診療を行ひ、昭和十年中には三、七五〇余名に及んでゐる。」とある。
市民病院は、「堺市史 続編 2」p.74によると、「大正10年12月、堺市立公民病院を設立」することとなり、「敷地を宿院町東3丁顕本寺境内に定め、大正12年7月1日事業に着手」とある。
「病院年報 平成20年度」(市立堺病院 2010)に掲載の「病院の沿革」でも、大正12年の宿院町東3丁に開設以来、「昭和12年宿院町西2丁1番1号」まで移転等の事実がないことから、上記西湊町の「小児保健所」と、市民病院内の「小児保健所」は別のものであった可能性が高い。
お尋ねのものは、大阪府が設置した、とのことなので、西湊町の施設を指しているものと推測される。西湊町491という番地が、現在のどこにあたるかは不明。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 衛生学.公衆衛生.予防医学 (498 8版)
- 参考資料
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樋上惠美子 著 , 樋上, 惠美子, 1948-. 近代大阪の乳児死亡と社会事業. 大阪大学出版会, 2016.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I027139210-00 , ISBN 9784872595116 (p.178)
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樋上惠美子 著 , 樋上, 惠美子, 1948-. 近代大阪の乳児死亡と社会事業. 大阪大学出版会, 2016.
- キーワード
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- 保健所
- 小児保健所
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000256439