レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20170905
- 登録日時
- 2019/04/12 00:30
- 更新日時
- 2019/04/17 00:30
- 管理番号
- 徳郷20170901
- 質問
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解決
徳島県から北海道への入植者によって始まった「勇足歌舞伎」について。
ア)明治28年秋の徳島県の大洪水について。
イ)立江村村長東條儀三郎と村民が北海道へ移住することになった経緯について。
ウ)立江村と歌舞伎(地芝居)
エ)徳島県内の地芝居史の概要をまとめた資料。
- 回答
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勇足歌舞伎と徳島からの北海道移住者については、インターネット上で公開されている下記【A】の論文にまとまっている。当館未所蔵。
【A】『北星学園大学文学部北星論集第50巻(通巻第57号)(2013年3月)・抜刷【研究ノート】
徳島県からの北海道移住者と「勇足歌舞伎」─ 移住者と演劇活動の関連について ─』
高橋克依/著
(CiNii(NII学術情報ナビゲータ[サイニィ])で、「勇足歌舞伎」と検索すると、この論文が見られる。)
https://ci.nii.ac.jp/naid/110009559157 (最終確認 2019/04/08)
質問のア、イ、ウについて書かれている。
ア)明治28年秋の徳島県の大洪水について
上記【A】以外で「「明治28年秋の徳島県の大洪水」による立江村「壊滅」」とする記述、または、立江村のみの被災状況についての記述をみつけることはできなかった。明治28年もしくはそれに近い年の小松島、那賀川流域等の水害状況について書かれた資料は以下のとおり。
【B】『小松島市史 中巻』
p516-522「三 明治中・後期の災害」明治15年から40年までの小松島市の災害一覧。
明治28年は、「八月二二日、高知県に上陸した台風のため、一日雨量、那賀郡鷲敷で四〇一ミリメートル、小松島で一七七ミリメートルに達し、那賀川、勝浦川等で洪水の被害が生じた。」と書かれている。
上記論文【A】で、移住の動機の一つに挙げられている。『本別町生活文化誌』の中の証言で「そもそも明治二八(一八九五)年に徳島で水害に遭っているんです。那賀川がはん濫して,水害で町全体が壊滅したんです。」とあり、論文の著者は、この水害を、上記p519明治28年の水害と推測している。
明治28年以外にも、度々洪水の被害が記されている。
【C】『小松島市史 旧小松島町の巻』
p85-86「第十一節 大洪水」天明元年から明治32年の小松島の大洪水が記されている。明治32年の前は慶応2年の大水で、明治28年の記述はなし。
【D】『徳島県史 第5巻』
p564-569「三 風水害」に、徳島県での明治期の風水害の一覧があるが、この中には明治28年の記述なし。近い年の風水害では、以下のものが記されている。
明治23年8月、「那賀川下流において南島と柳島の堤一五〇メートル切れ、中野島全村水没、家屋十戸流失、死者数名。」。
「全村水没」という記述は、一覧の中ではこの災害だけ。
明治25年7月23日暴風海嘯洪水、死者311、負傷89、家屋全壊2,635、流失644などの被害が出ている。
同年9月7日大暴風雨、吉野川・鮎喰川・勝浦川・那賀川等の諸川洪水。
明治30年9月風雨洪水では、板野郡上板町の被害について。
【E】『徳島県自然災害誌』
p49明治28年の災害は、7月24日と8月22日の台風に関する記述あり。
7月24日については、「大したことはなかった。」としている。
8月22日の台風は、上記『小松島市史 中巻』で述べられているのと同じものと思われる。県の統計書からも被害状況を引用している。
【F】『徳島県統計書 明治二十八年』
徳島県の統計書で、p183「河川及海岸水災別」に、河川ごとの明治28年の水災に関する数値が載っている。那賀川は、水災度数2、被害町村大字数14、死傷者1、建物17など。
【G】『徳島県警察史』
p883-885「(二)風水害」明治期の風水害の一覧あり。明治28年は、八月二二日(一八九五)風雨・出水とだけ書かれている。明治17、25、44年の風水害には詳しい説明あり。
イ) 立江村村長東條儀三郎と村民が北海道へ移住することになった経緯について
資料【A】では、『本別町生活文化誌』から、移住の動機を大規模な水害と、人口の増加とそれに伴う耕作地の不足、それに資料【B】、『立江村史』から小作人のおかれていた不利な立場からの強い不満等を加えた複合的な理由、さらに資料【D】から、「徳島には、一般的に北海道移住の機運が早くから芽生えていた。」としている。
徳島からの北海道移住に関する資料は多く、他の資料でも、徳島に北海道移住の機運があったとする説は書かれている。東條儀三郎または勇足について記述があったもののみ以下に挙げる。
【H】『利別の流れ 北海道十勝本別開拓物語』
p45-51「四 勇足の丘に立つ牧拓功労者東條儀三郎の碑」に、東條の生い立ちなどが詳しく書かれている。移住の動機については書かれていない。
【I】『所蔵資料紹介展 17 徳島県人の北海道移住』
巻末に1ページ「那賀郡北海道殖民同盟会と移住事業」で、徳島県が主要な北海道移住県となっていた要因に経済的な面の他、「県内の有力者による積極的な移住組織の創設や農場設置を挙げることができるだろう。」としており、那賀郡北海道殖民同盟会について書かれています。東條は、名前のみ。
【J】『徳島県から北海道への移住者に関する研究 言語変容を中心に 平成15年度~平成16年度科学研究費補助金(基盤研究(C)(1))研究成果報告書』
p7-42「徳島県人の北海道移住と入植地」平井松午/著
ウ)立江村と歌舞伎(地芝居)
資料【A】には、質問の立江村で歌舞伎がどのように楽しまれていたか、北海道移住者の中の歌舞伎演者名、歌舞伎を楽しむことにつながったと思われる事象について書かれている。
それ以外の当館資料では、移住者の中の歌舞伎演者名等は不明。
【K】『小松島市史 風土記』
p493-496「五 地芝居」小松島の南の地方の地芝居がどのように行われていたか書かれている。立江村の名はなし。
【L】『相生町誌』 相生町誌編纂委員会 相生町 1973 T241.4 /アイ/2A ○
p1696-1699「二 浄瑠璃、人形座、地芝居」は、相生町についてだが、p1698に、「大久保蛭子神社には千畳敷の襖が明治三十五年舞台改築の際造ったもので、立江町赤岩文鳥の作である。」という記述あり。
エ)徳島県内の地芝居史の概要をまとめた書籍
まとまった資料は、見つけられない。
【M】『日本の民俗 36 徳島』
p168-171「4 地芝居」美馬郡半田町逢坂の地芝居について書かれている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 風俗習慣.民俗学.民族学 (380 8版)
- 参考資料
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- 【B】小松島市史 中巻 (T230コマ24-チュウ516-522小松島市史編纂委員会 小松島市 1981)
- 【C】小松島市史 旧小松島町の巻 (T230コマ285-86小松島市役所 小松島市役所 1952)
- 【D】徳島県史 第5巻 (T209トク315-5564-569徳島県史編さん委員会 徳島県 1966)
- 【E】徳島県自然災害誌 (T451Lトク31249徳島地方気象台 徳島県 2017)
- 【F】徳島県統計書 明治二十八年 (T350Lトク3183徳島県 徳島県 1895)
- 【G】徳島県警察史 (T316トク26883-885)
- 【H】利別の流れ 北海道十勝本別開拓物語 (T611タム45-51田村直一/著 田村直一 1997)
- 【I】所蔵資料紹介展 17 徳島県人の北海道移住 (T18Lトク3徳島県立文書館 徳島県立文書館 1999)
- 【J】徳島県から北海道への移住者に関する研究 言語変容を中心に 平成15年度~平成16年度科学研究費補助金(基盤研究(C)(1))研究成果報告書 (T818Lオノ107-42小野米一/ほか著 鳴門教育大学言語系(国語)教育講座 2005.02)
- 【K】小松島市史 風土記 (T230コマ24-2493-496小松島市史編纂委員会/編 小松島市 1977.02)
- 【L】相生町誌 (T241.4アイ21696-1699相生町誌編纂委員会/編 相生町 1973)
- 【M】日本の民俗 36 徳島 (T382カナ3168-171第一法規出版 1974)
- キーワード
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- 勇足歌舞伎、 地芝居、 立江村、 北海道、 移民、 移住、 入植
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000254875