レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/10/31
- 登録日時
- 2013/11/01 00:30
- 更新日時
- 2013/11/01 11:39
- 管理番号
- 北方 13-0003
- 質問
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解決
北海道で地質測量に尽力したベンジャミン・スミス・ライマンの弟子である山際永吾や稲垣徹之進の苦労や業績について知りたい。
- 回答
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人名事典では、山際永吾が『明治人名辞典 下巻』(古林亀治郎編輯 日本図書センター 1987年 請求記号:281.03/ME/1-2) ページ:ヤ七三に掲載されている。それによると、「ライマン氏の助手となり北越地方油田の調査に従事して功績多し後開拓使、工部省、農商務省鉱山局等に歴任し、官亦君に待つとこ多かりしが、二十九年官を辞して鉱業界に投じ、後入山採炭会社に入りて取締役に挙げられ、兼ねて同鉱務所長に推さる、」とある。
北海道関係の人名事典類には記載なし。また、それぞれ、伝記類の資料なし。
ライマンの弟子ということで、ライマンの伝記類を調査。『ライマン雑記』(副見恭子著 [実業公報社] 請求記号: 289/LYM)の中に弟子の記事があり、その中で質問の2名について言及している。
山際永吾については、生まれからライマンに随行する前の少年期の事やライマンに随行した時の日記、ライマンが日本を去った後に開拓使に戻り、幾春別炭田を発見したこと、工務省、農商務省で鉱業課長になり、明治30年に入山採炭会社に入社、取締役及び同炭鉱所長になったことが6ページほどに渡って書かれている。
稲垣徹之進については、三重県志摩国鳥羽で生まれ、ライマン離日後は工務省の命で陸奥に赴任している。明治15年には三池鉱山局に転任している。明治21年に筑豊炭田大辻炭坑に入り、その後佐賀の唐津炭田の一つ杵島炭坑の抗主となり、明治31年に明治炭坑の専務に就き、九州鉱業界の泰斗として重視されたとある。(「ライマン雑記(19)」副見恭子著 地質ニュース565号 2001年 p42-51)
開拓使学校でのことについては、紹介されている2名を含めた弟子について『ライマンと北海道の地質』(北海道大学総合博物館編 北海道大学総合博物館 2008年 請求記号:455.07/R)p25-26に簡単な記述がある。
また、この資料の参考文献集の中に「B.S.ライマンの弟子たち-修行時代-」(今津健司著 『エネルギー史研究』10 1979年 p90-97)という関連性のある文献が載っている。
当館未所蔵。
所蔵館は以下の通り。
北海学園大学 附属図書館
北海道大学 附属図書館
法政大学 図書館
明治大学 図書館
国立国会図書館 請求記号:Z14-617
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 7版)
- 参考資料
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- 1 ライマン雑記 副見 恭子∥著 [実業公報社] 289/LYM 地質ニュース565号p.42-50
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2 明治人名辞典 下巻 古林/亀治郎?編輯 日本図書センター 1987.10 281.03/ME/1-2 -
3 ライマンと北海道の地質 北海道大学総合博物館∥編 北海道大学総合博物館 2008.8 455.07/R p.25-26 -
1 北海道開拓記念館特別展 第41回 ライマン・コレクション展-明治初期の北海道とマサチュ-セッツ州の交流- 北海道開拓記念館∥編 北海道開拓記念館 1995 069/HO/41-イ
- キーワード
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- ベンジャミン・スミス・ライマン 山際永吾 稲垣徹之進
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事項調査 事実調査
- 内容種別
- 人物 人物
- 質問者区分
- 社会人 社会人
- 登録番号
- 1000139835