レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年12月21日
- 登録日時
- 2014/08/22 18:28
- 更新日時
- 2016/11/11 19:51
- 管理番号
- 榴岡2014-事03
- 質問
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解決
今の若林区大和町は、昔どういう所だったのか?
- 回答
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かつて大和町は、古くから歌枕でも有名な「宮城野」の地で、広い野原であった。町の周囲には、弥生時代以来の南小泉の大集落跡や法領塚古墳・志波遺跡・陸奥国分尼寺・谷地館跡などがあるが、現在の大和町の地域内には特記するようなものはみつけられない。
藩政時代は仙台城下に接する村の一部であったため、地図では詳しいことを確認できなかった。明治38年頃の地図『地図で見る仙台の変遷』で、現在の大和町一帯は田園だったことがわかる。明治39年ごろから住宅ができ始め、区画整理も進んでいった。昭和48年には大和小学校が設立され、昭和50年5月1日、現在の大和町1~5丁目という地名がついた。昭和60年代に入ると幹線道路沿いには多くの大規模マンションが建設されていった。
(『絵図・地図で見る仙台』『仙台市史 通史編9』『角川日本地名大辞典 4 宮城県』)
- 回答プロセス
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『日本歴史地名体系 4 宮城県の地名』で「大和町」をみると、現在の大和町1~5丁目はかつては「小泉村」「南目村」の一部であったことがわかった。また、『仙台市史』『宮城郡誌 全』等を確認してみたが、現在の大和町にあたる地域に関する記述をみつけることはできなかった。さらに『絵図・地図で見る仙台』『地図で見る仙台の変遷(地図5枚)』等、古地図類で確認すると、江戸時代の絵図では仙台城下に隣接する村であったため載っていないが、明治38年の地図には畑および田の地図記号で確認できる。昭和39年ごろからは「大和町」の名が見られ、住宅地・工場・田などが確認できた。また、『若林区地名考[1]』では大和小学校の紹介等を、『仙台市宮城野区・若林区文化財分布地図』で、遺跡の有無等を確認した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291)
- 参考資料
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- 『絵図・地図で見る仙台』 高倉淳[ほか]/編著 今野印刷 1994年
- 『地図で見る仙台の変遷(地図5枚)』 日本地図センター 1998年
- 『仙台市史 通史編9』 仙台市史編さん委員会/編 仙台市 2013年
- 『角川日本地名大辞典 4 宮城県』 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1979年
- 『日本歴史地名体系 4 宮城県の地名』 平凡社 1987年
- 『若林区地名考[1]』 若林区民ふるさと創生事業実行委員会 1991年
- 『仙台市宮城野区・若林区文化財分布地図』 仙台市教育委員会 1996年
- キーワード
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- 若林区
- 大和町
- 仙台市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人 社会人
- 登録番号
- 1000158753