レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/05/12
- 登録日時
- 2017/06/15 00:30
- 更新日時
- 2017/08/13 17:15
- 管理番号
- 6000033741
- 質問
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解決
高川小学校前交差点周辺の歴史を知りたい。(『豊中市史』以外)
- 回答
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以下の資料のコピーを送った。
・『創立20周年記念誌「高川」』
「高川小学校20年のあゆみ」に年表あり。田んぼや畑を埋め立てて校舎を建てたこと、年々車の行き来がはげしく登下校に危険だったが歩道橋ができて安心して通えるようになったことなどの記述もある。
「高川校区の移り変わり」では校区を囲む三つの川の歴史、豊中空襲のこと、校区を十文字に区切る野田吹田線(昭和38年)神崎刀根山線(昭和43年)が開通したことなどの記述がある。p.33には小さくて見づらいが江戸時代から昭和63年まで年代順に校区のうつりかわりがわかるように図や航空写真が7枚掲載されている。一部、後ろ見返しに拡大した写真がある。
・『創立30周年記念誌 わたしたちのまち高川』
「変わりゆく高川校区」のページに道路が開通した年、校区の人口の変遷が載っている。
「昔のことについて聞きました」のページにおじいさんの話として、「堤防の所の道路と小曽根病院の前の道路の二本しかなく、後の道路はぜんぶ田んぼでした。」など昔の村の様子が紹介されている。
・『広報とよなか 第342号』(昭和54年8月1日発行)p.7「高川小学校前に歩道橋完成」
・『広報とよなか 第238号』(昭和46年9月1日発行)p.2「7秒に1台 トップは神刀根線 市道交通量調査まとまる」
・『広報とよなか 第249号』(昭和47年8月発行)p.1「野田小曽根線が開通」テープカットの写真あり
・『市政要覧1963年』p.27「住宅と都市計画」という題で当時の状況についてざっくりとした印象が述べられており、主要道路は舗装がされて見違えるほどよくなったが横へ入るとそうではない、といったことが書かれている。具体的な記述はない。p.30に都市計画図があり街路が太い線で示されている。
・『豊中の都市計画1971』p.5,13豊中市の地図があるが該当する道路の存在を確認できるだけである。pp.36-38都市計画道路台帳及び現状調書あり。市内各路線についての計画と改良済の一覧表。巾員や延長距離など数字のみ。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 創立二十周年記念誌 高川豊中市立高川小学校創立20周年記念誌編集委員会/編集豊中市立高川小学校創立20周年記念誌編集委員会 (pp.15-33)
- わたしたちのまち高川創立30周年実行委員会(記念誌編集委員会)/編集豊中市立高川小学校 (pp.32-33,p.51)
- キーワード
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- 高川(タカガワ)
- 高川小学校(タカガワショウガッコウ)
- 神崎刀根山線(カンザキトネヤマセン)
- 野田小曽根線(ノダオゾネセン)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 庁内
- 登録番号
- 1000217307