レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年02月08日
- 登録日時
- 2018/03/16 14:48
- 更新日時
- 2018/03/27 17:22
- 提供館
- 岐阜県図書館 (2110001)
- 管理番号
- 岐県図-2452
- 質問
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「岐陽学舎」に関する資料はないか。明治16年頃に存在した教育機関らしい。
- 回答
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以下の資料を紹介した。
1.『岐阜市史 通史編 近代』(岐阜市、1981年)
p.213に「岐阜県教育会と岐陽学舎」という項目があり、岐陽学舎についてはp.214に記述がある。
『岐阜県百科事典』を出典とし、明治16年に岐阜教育会幹事の発案で私立英語学校として設立されたこと、明治17年に岐阜教育会岐陽学舎と改称したこと、明治20年に本科と別科を設け、師範学校入学志望者の養成や小学校教員検定試験受験者の育成を行っていたことなどが書かれている。
2.『岐阜県百科事典 上巻』(岐阜日日新聞社、1968年)
p.470に「岐陽学舎」の項目があり、『岐阜市史 通史編 近代』よりも詳細な記述がある。
3.『岐阜県教育史 通史編 近代1』(岐阜県教育委員会、2003年)
p.688-689の「岐阜教育会附属師範予備学校」の項目に、『岐阜県学事年報』や『岐阜県教育五十年史』を典拠とした岐陽学舎に関する記述がある。ここでは「英語夜学校を岐阜教育会附属岐陽学舎に改称」したとし、改称時期は前掲の『岐阜市史 通史編 近代』の記述とは異なる。また、「岐陽学舎の規則、教則、教員構成、活動実績などの詳細について、現段階では史料不明」としている。
p.524-526の「英語夜学校」の項目では、岐阜教育会において明治16年の随意談会で「私立英学校設立を提起し、教育社の有志が教授の任に当たる構想のもとに岐陽学舎設立が計画され、英語夜学校が付設されるに至った」として、各種資料を引用しつつ、主に英語夜学校について記述されている。
4.『岐阜県教育五十年史』(岐阜県教育会、1923年 調査には第一書房1981年刊の復刻版を使用)
「附録 岐阜県教育会史」のp.537-538に「第5節 岐陽学舎の創設」の項目があり、明治16年から明治20年までについて書かれている。岐陽学舎の前身や改称時期は明確には書かれていないが、「私立英語学校を設け(中略)別に英語夜学校を附設した」、「同年(当館補足:明治20年)九月岐陽学舎及び英語夜学校を独立せしめ」という記述があり、私立英語学校と英語夜学校、岐陽学舎と英語夜学校は併存していたともとれる。
また、p.206-208に明治19年12月末日現在の岐阜県管内私立学校の一覧があり、校名、所在地(町村)、学科、開校年月、教授者数、生徒数が示されているが、その中には「英語夜学校」と「岐陽学舎」がともに挙げられている(p.207)。
5.『岐阜市史 史料編 近代1』(岐阜市、1977年)
p.822に岐阜日日新聞の広告(明治20年1月21日、岐阜教育会)が掲載されており、附属英語夜学校を岐阜夜学校と改称し、本年より独逸学の一科を加えることなどが書かれている。この史料については、『岐阜市史 通史編 近代』(前掲の1)p.214にも記述があるが、通史編本文で紹介されている内容と本資料の内容は少し異なっている。
- 回答プロセス
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1.「岐阜県関係資料の目次」を検索し、『岐阜市史 通史編 近代』の記述を確認。
岐阜県関係資料の目次 https://www.library.pref.gifu.lg.jp/gifuken-mokuji/top.html
2.『岐阜市史 通史編 近代』の記述の典拠資料である『岐阜県百科事典』『岐阜市史 史料編 近代1』を調査。
3.上記資料の記述を参考に、『岐阜県教育史 通史編 近代1』を調査。
4.3の『岐阜県教育史』の記述の典拠である『岐阜県教育五十年史』を調査。
5.『岐阜県教育会雑誌』の目次(1の目次検索による)や、岐阜県歴史資料館の資料検索も試したが、該当するものはなかった。
- 事前調査事項
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・『岐阜市史 通史 近代』のP.213に「岐阜県教育会と岐陽学舎」という目次がある。
・『岐阜県教育史』の目次には掲載がないが、本文に記載があるかもしれない。
- NDC
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- 教育史.事情 (372)
- 参考資料
- キーワード
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- 岐陽学舎
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000232614