レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009年05月08
- 登録日時
- 2009/05/09 02:12
- 更新日時
- 2009/05/10 09:51
- 管理番号
- 奈県図情-09-002
- 質問
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解決
「大仏商法」という言葉の起源や背景、また1688年の大仏開眼供養や1709年の大仏殿落慶法要の際の奈良町の様子について、詳細に書かれてた文献を紹介してほしい。
- 回答
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「大仏商法」という言葉がいつごろどういう方面から使われるようになったのかということは、『奈良市史 通史3』や千石涼太郎『県民性の謎』さらに「人国記」「大仏殿再建記」等を見ても直接説明している記事はなかった。
インターネットのサイトでは、「大仏商法」が奈良の県民性をあらわす言葉として使われている。例えば「大仏詣などの観光都市として古くから栄えたため、小回りが利き、利にさといので大仏商法という言葉が生まれた」とか、「大仏商法といわれ小賢しい商いをする」というふうに解説している。
千石涼太郎著『県民性の謎』では、奈良県人の気質として「腰は重いが商売はうまい」という見出しで、「大仏商法と呼ばれる観光客相手の商売はうまい。あるものを利用してうまいこと儲けるのが上手なのだ。「待ち」の姿勢を保ちつつ、大仏などのえさに寄ってくる魚をしっかりと食ってしまうわけである」と述べている。
各国ごとに16世紀ごろの住民の人情・気質を記述する「人国記」(岩波文庫)には、大和の国の人は「人の大形、名利を好むもの多し」「名利にかかはる人多くして、常に詞に偽りを巧みにして、上分は功少のうして名を挙げん事を願ひ、下劣は言句の下に於て、偽りを述べて両舌を吐く風俗なり」とある。
大仏開眼供養やその際の奈良町の様子については、『奈良市史』通史3のP163~186 に「東大寺復興と奈良の賑わい」の項がある。古川聡子「近世なら町における都市政策の展開」(『ヒストリア』191号)は最近の論考で、ともに、当時の奈良の様子がよくわかり、大仏再建が奈良の町を産業都市から観光都市に変貌させる画期とみている。また、大仏再建の史料としては、「大仏殿再建記」二冊(玉井家文書写真版)、翻刻史料では『公慶上人年譜聚英』がある。ただ、以上の文献には、東大寺再建と「大仏商法」を関連づけた記述はなかった。
いずれにしても、「大仏商法」という言葉は、寺社参詣が盛んになってきたころ以降に「名利を好む」土地柄の商売を説明する言葉として使われていたようである。そこから、「大仏商法」という言葉には、「奈良の大仏の周りに店を構えていればお客さんが来る」という意味で、「努力をしない」という意味合いがこめられた使い方も派生したものと思われる。インターネットのサイトでも、こちらの使い方が多くあった。今ではこちらの意味で使う方が普通になっているようだ。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 9版)
- 各宗 (188 9版)
- 社会学 (361 9版)
- 参考資料
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- 『奈良市史 通史3』 奈良市史編集審議会編 奈良市 1968-1988
- 『ヒストリア』191号 大阪歴史学会 柳原書店
- 『大仏殿再建記』 玉井家文書写真版 ( 210.08-461 ふるさとNDC)
- 『公慶上人年譜聚英』 東大寺編 東大寺 1954 (188.35-26 ふるさとNDC)
- 『県民性の謎』 千石涼太郎著 朝日ソノラマ 1997
- 『人国記』 浅野建二校注
- 『人国記 ; 新人国記』 岩波書店 1987
- キーワード
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- 大仏商法
- 奈良町
- 奈良市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000054607