(1)岡山県立図書館蔵書検索システムで、キーワードを「郷内小学校」にして検索するが、郷内小学校の学校史に相当する資料が見当たらない。
(2)岡山県立図書館電子図書館システム「デジタル岡山大百科」の郷土情報ネットワークにて雑誌記事を検索するが該当なし。また、当館が収集する新聞切抜き記事を探すが記載資料が見つからない。
(3)『岡山県大百科事典 上』(資料①)の「郷内」の項目には、「倉敷市児島の旧村名。(中略)福岡、木見(旧山村の地域を除く)の2村と彦崎村のうち植松が1906年(明治39)合併して郷内村が誕生した。1959年(昭和34)植松は灘崎町に編入、他の全地域は児島市に合併編入、児島市は1967年(昭和42)倉敷市となった。」というように地域の歴史についての記載はあるが、郷内小学校についての記載はない。
(4)『郷内誌』(資料②)にある「学校」の項目には「郷内尋常高等小学校」の歴史がまとめられているが、校歌についての記述は見当たらない。「郷内尋常高等小学校」については「明治四十一年四月郷内高等小学校と、木見、福岡の二尋常小学校とを合併したるものなり(以下略)」と記載されている。
(5)『親子で読む郷内の歴史散歩 続』(資料③)には、「郷内小学校校歌」と「郷内尋常小学校校歌」が共に掲載されている。両者の歌詞は互いに少し違っているが、前者を左側に、後者を右側に掲載し、歌詞を対比して見ることができるようになっている。
校歌については、以下のとおり記載されている。
「昭和7年に校歌が制定されています。この校歌の作詞者は、福江の木華佐久耶比咩神社(このはなさくやひめじんじゃ)の12代神官の三宅光信さんです。作曲は昭和7年から郷内校に赴任された、曽根の孝忠省三先生でした。この校歌は、大東亜戦争に敗れてから、左側のように改作されています。しかし、“すばらしい国日本の、すばらしい日本人になろう”という精神は、変わっていません。戦後郷内中学校が創立されましたが、この校歌も地元の作詞で、小中共に作詞者が地元の人で、共にこれからの日本を背負って立つ皆さんへの、期待を込めて作られた校歌です。」
(6)そのほか、『全国校歌・寮歌・応援歌と其の解説(音譜入)』(出口競編,文行社,1925年)、『岡山県下諸学校校歌集』(細謹舎編,岡山 細謹舎書店,1922年)、『郷内村の生い立ちと伝説』(新見重夫,大守哲著,郷内村〔児島郡〕大守哲,1954年)を確認するが、郷内小学校の校歌についての記載は見つからない。