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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000028868
提供館
(Library)
岡山県立図書館 (2110029)管理番号
(Control number)
M04110213443366
事例作成日
(Creation date)
登録日時
(Registration date)
2006年06月13日 15時44分更新日時
(Last update)
2019年03月31日 00時30分
質問
(Question)
太田辰五郎の生涯について知りたい
回答
(Answer)
 鉄山業を営むかたわら、牛の改良繁殖に心を砕き、体型が優美で堅牢、性質温順な千屋牛を作り上げた。  寛政2年(1790)阿賀郡千屋村(現新見市)に生まれる。天保2年(1831)、家業である鉄山業と「千両箱を飛び石にして江戸まで行く」と言われるほどの莫大な資産を受け継ぐ。  砂鉄を採取するための鉄穴流(かんななが)しは、大量の濁水や土砂を高梁川に流出させ、下流一帯の農家に被害をもたらすこととなる。下流の人々からの抗議が何度も起こっていたが、その度に上流では死活問題であることを理由に退けていた。期間や場所を限定するなどの案も採用されたが、この対立がなくなることはなく、辰五郎のときには江戸幕府の裁きを受けるほどの騒ぎとなった。  辰五郎は、その一方で莫大な資産を背景に牛の改良を企図し、元来小型種であった千屋牛を、大型で丈夫、性質のおとなしいものに改良した。その優良な牛は「大赤蔓(おおあかつる)」と呼ばれ、役肉用牛として喜ばれた。  完成した千屋牛を広く販売するため、天保5年(1834)辰五郎は自宅を提供して千屋牛馬市を開設する。以後、毎年この市に集まる人々の評判によって、千屋牛の名は全国的に知られるようになった。また、牛市自体も農繁期の後に開催されたので、芝居や露店が集まり、次第に大変な賑わいをみせるようになったという。  現在でも岡山県種雄牛の多くは、この系統といわれており、岡山県では、碁盤の上に乗る千屋牛の像を千屋ダム近くに設置して、その性質の良さをアピールしている。  その他、太田辰五郎の名は社会的にも様々な貢献をしたことで知られた。  天保4年(1833)、6年(1835)のいわゆる天保の大飢饉のときには、飢えに苦しむ人々のために、莫大な財産を使って救済にあたった。また、江戸城西の丸普請用の小割鉄400束を献納したこともあった。  天保8年(1837)に、花見村(現新見市千屋花見)の農民が強訴を計画したときには、辰五郎は彼らの説得に当たり中止させた。  これらの功績により、永代苗字帯刀を許されている。  嘉永7年(1854)に没する。 【参考文献】   「伝記 太田辰五郎」/太田忠久著/太田辰五郎顕彰会1991 ほ か。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
個人伝記  (289 9版)
参考資料
(Reference materials)
『岡山県総合文化センターニュース』No.425、http://www.libnet.pref.okayama.jp/center_news/news425.pdf
太田忠久著『伝記 太田辰五郎』,太田辰五郎顕彰会,1991
キーワード
(Keywords)
太田, 辰五郎 (1790-1854)<オオタ,タツゴロウ>
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
M2004110213442443366
調査種別
(Type of search)
内容種別
(Type of subject)
質問者区分
(Category of questioner)
全年齢, 高校生, 中学生
登録番号
(Registration number)
1000028868解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
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