レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007/09/04
- 登録日時
- 2008/01/31 02:11
- 更新日時
- 2008/02/15 16:35
- 管理番号
- 埼熊-2007-070
- 質問
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解決
江戸時代の加賀藩本郷の上屋敷の「氷室」(ヒムロ)は、いつ設けられたかのか。その場所と大きさも知りたい。
- 回答
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加賀藩前田家の江戸屋敷は慶長10年からのもので、天和2年(1682)より本郷邸(現東京大学敷地)が加賀藩上屋敷となった。下記資料から、1840年代前半には本郷邸内の庭園「育徳園」にある池の東側、御亭の脇に〈氷室〉が設けられていたことがわかる。大きさに関する記述は見つからず、「加賀藩本郷邸図」で推定する。
以下の資料を紹介する。
『東京大学埋蔵文化財調査室発掘調査報告書 4 東京大学本郷構内山の遺跡 上会館・御殿下記念館地点 第3分冊)』
資料の付録「附図8 加賀藩本郷邸図(1840-45年頃)」に2か所の〈氷室〉が描かれている。本文p52ー55には詳細な記述がある。附図8の縮図「第8図」があり、本郷邸内の庭園「育徳園」に設けられた池の東側、御亭の脇に〈氷室〉があることがわかる。「心字池の東北岸に氷室が設けられて・・・氷室は2つで、これ以前の時期にも見られる(後略)」と記述あり。
「北陸大学紀要 第28号(2004.10)」(国会図所蔵)p49-62 竹井巖「金沢の氷室と雪氷利用」の論文「加賀藩江戸上屋敷の氷室」の項に、江戸の本郷上屋敷において心字池の東北岸に〈氷室〉が設けられていたことが知られている。(「江戸御上屋敷絵図」1840年代前半)・・・」と記述あり。
以上を回答する。
- 回答プロセス
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『江戸のミクロコスモス・加賀藩江戸屋敷』(新書館)に「江戸御上屋敷絵図」(元の絵図は1840年代前半のもの)があり、p16に「小地下室ははたして・・・氷室なのだろうか」の記述あり。『新編物語藩史 6』『金沢市史 通史編 1・2』の索引には氷室ないが、『同 2巻』p316に上屋敷が本郷となったのは天和2年とある。
質問者が金沢市立図書館に問い合わせて紹介されたという資料『東京大学埋蔵文化財調査室発掘調査報告書 4』にあたり、〈氷室〉に関する詳細な記述が見つかった。
《Google》で〈加賀藩 & 上屋敷 & 氷室〉等で探索。金沢市立玉川図書館近世資料館のWebサイトの資料展示「加賀藩の江戸藩邸」の情報および「北陸大学紀要 第28号」の全文テキスがヒットする。
《NACSIS Webcat》で多数の大学図書館所蔵がわかるが、県内所蔵なし。
《NDL-OPAC(雑索)》を〈氷室〉で検索し、竹井巖「金沢の氷室と雪氷利用」(「北陸大学紀要 第28号」p49-62)の国会図書館所蔵を確認。以上を連絡する。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 食品工業 (588 9版)
- 日本の建築 (521 9版)
- 参考資料
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- 『東京大学埋蔵文化財調査室発掘調査報告書 4 第3分冊)』
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「北陸大学紀要 第28号(2004.10)」(国会図所蔵)
- キーワード
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- 加賀藩-上屋敷-藩邸
- 前田氏-江戸時代
- 本郷-東京
- 製氷-氷室
- 建築
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000041440