レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年05月06日
- 登録日時
- 2017/03/14 16:56
- 更新日時
- 2017/06/07 16:42
- 管理番号
- 埼熊-2016-145
- 質問
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解決
長野県の松代城近くの防空壕について、大本営用・内閣用・皇室用がそれぞれ作られたのか知りたい。
- 回答
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以下の資料に関連の記述があり、これを紹介した。
『松代大本営 歴史の証言』(青木孝寿著 新日本出版社 1992)
p14図2「ロ号倉庫(舞鶴山地下壕)・仮皇居等の設計図と建造物の用途」
各号舎に天皇・皇后・大本営等の記載あり。
p16「松代大本営等の工事概要」概要あり。
p89「マ(三・二三)工事」はじまる」に「このときの工事の概要はつぎのとおりであった。①仮皇居(御座所)の地上施設(中略)②天皇・皇后専用の地下壕と内部木造施設(いわゆる地下宮殿)(中略)③ロ号倉庫を大本営が使用するための内部仕上げ(中略)④立退き民家のうちロ号倉庫の南と西側に近接する二棟の改造(中略)⑤その他」とあり。
《長野市観光施設 松代象山地下壕のご案内》(https://www.city.nagano.nagano.jp/soshiki/kankou/22100.html 長野市)
「松代大本営地下壕は、(中略)第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦の最後の拠点として、極秘のうちに、大本営、政府各省等をこの地に移すという計画のもとに、昭和19年11月11日から翌20年8月15日の終戦の日まで、およそ9箇月の間に建設されたもので、突貫工事をもって、全工程の約8割が完成しました。」とあり。
- 回答プロセス
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1 自館目録を確認する
『松代大本営 歴史の証言』(回答資料)
『長野県史 通史編 第9巻 近代 3』(長野県編 長野県史刊行会 1990)
p602「本土決戦と松代大本営」に「このころ長野高等女学校(長野西高)に設けられた長野軍管区司令部も、御座所建築計画と関係があったとみられる。四月五日とつじ西条村の筒井地区一九〇戸に立退き命令がだされ、御座所建築の準備がすすめられた。その場所は舞鶴山下のロ地区で、建設されていた地下壕の南端に大本営の事務室・会議室、それに接続して半地下式の仮御座所と専用地下壕(地下御殿)を建築するというものであった。」とあり。
2 インターネット情報を確認する
《長野市観光施設 松代象山地下壕のご案内》(回答情報)
その他調査済み資料
『松代地下大本営 証言が明かす朝鮮人強制労働の記録』(林えいだい著 明石書店 1992)
ウェブサイトの最終アクセス日は2016年4月29日。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 労働経済.労働問題 (366 9版)
- 参考資料
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- 『松代大本営 歴史の証言』(青木孝寿著 新日本出版社 1992) , ISBN 4-406-02070-5
- キーワード
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- 松代城
- 防空壕
- 長野県-歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 歴史
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000211664