レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年02月03日
- 登録日時
- 2013/03/12 16:12
- 更新日時
- 2013/06/04 14:26
- 管理番号
- 埼熊-2012-255
- 質問
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解決
文久2年(1862)の薩摩藩の石高と人口を知りたい。
- 回答
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幕府によって認知された表高(知行充行状や知行目録に書き載せられた禄高。実際の収入高とは相違した)は、72万8700石(資料によっては72万9000石余)であるとの記述が見つかった。実高については、享保年間(1716-1735)に86万7000石余であったとの記述が見つかった。
人口については、文久2年の数値は見つからなかったが、『鹿児島県史』によると文政9年(1826)は、総計86万5141人、明治2-3年に行なわれた調査を収録した『藩政一覧』によると、89万6808人との記述が確認できた。
次の資料の記述を紹介した。『藩史大事典 7 九州編』(木村礎〔ほか〕編 雄山閣出版 1988)
p535-553「鹿児島藩(別称薩摩藩)」の章あり。
p541「藩主一覧」の〈島津忠義〉(在任期間が安政5(1858)-明治4年)の項が該当。石高(表高)72万8700石(寛永11年から変わらず)
p537〈藩の居城〉の項、「人口 89万6808人(除琉球国)」(出典:明治二年「藩制一覧」)とあり。『日本史籍協会叢書 173 藩制一覧』(日本史籍協会編 東京大学出版会 1967)
p151-152〈鹿児島藩〉の項、p152「人口は89万6808人」とあり。
「藩制一覧」は「例言」によれば「明治初年に太政官が各藩に向けて其藩の「草高、税目、税額、人口、戸数、社寺数」の調査を命じ、それに対して明治2、3年に各藩から上申したものを収録したもの」と推測されている。『国史大辞典 3』(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1983)
p234-236〈鹿児島藩〉の項あり。
「元和3年(1617)60万5000石余の領知高判物をうけ、寛永十一年(1634)の判物で琉球高12万3000石余を加え、72万9000石余が表高として固定した。」「享保内検(享保7年(1722)-11年)には門高の均等化と門数増加がなされ86万7000石余の内高となった。」『藩史総覧』(新人物往来社 1977)
p418-420〈薩摩藩〉の項あり。
「二代光久時代の正保三年(1647)十二月十二日の領内高目録や、寛文四年四月五日の領知目録によれば、藩領構成は、(略)あわせて652ヵ村15島73万0070石(石未満四捨五入)で構成されていた。内高は光久時代の万治年間74万7193石であったが、五代継豊の享保年間86万7027石に及んだ。」『鹿児島県史 2』(鹿児島県編 鹿児島 1980)
p3-8「藩の領域及び人口」の章あり。
「薩摩藩の領域は薩摩・大隅両国及び日向国諸県部、外に琉球十五島である。」
「薩藩の人口に就いては、主として、宗門手札改の結果によって知る事が出来る。初めて宗門手札の制度を布いたのは寛永十二年で、その後同16年以降数年を隔てて前後恐らく二十数回の手札改を行なっている。」
貞享元年(1684)年から文政9年(1826)までの表あり。文政9年は、総計86万5141人。
- 回答プロセス
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その他の調査経過は次のとおり。
以下の資料には人口の記載なし。
『新編物語藩史 12 九州地方の諸藩』(新人物往来社 1977)
p311-356〈薩摩藩〉の項あり。
p316「第1表 島津氏領国内郡別村数・石高表」を見ると、薩摩国・大隅国・日向国の合計が60万5863石、琉球十五島が12万3710石となっている。
p328下段「慶長14年琉球を合せて薩摩藩の石高は70数万石になったが」とあり。
『藩史事典』(藩史研究会編 秋田書店 1977)
p522-526「鹿児島藩(薩摩藩)」
p523「通称75万石とも77万石ともいわれ、正保3年(1646)の知行目録によれば、薩摩31万5千石、大隅17万833万石、日向諸県郡の内12万24石、琉球12万3710石、総高72万9567石であった。但しこれは、籾高であるから米高計算すれば37万石位であった。」
『近世史ハンドブック』(児玉幸多〔ほか〕編 近藤出版社 1984)文献多数
p127 薩摩藩 石高・人口の記載なし
『藩と城下町の事典 国別』(工藤寛正編 二木謙一監修 東京堂出版 2004)
p634-638〈鹿児島藩(薩摩藩)〉の項あり。「鹿児島藩の石高は寛永十一年(1634)の判物では薩摩・大隅・日向国60万5000石余に琉球諸島12万3700石が加わり、合せて72万9000石余が表石として固定した。」
人口学に関する資料を調査
『一目でわかる江戸時代 地図・グラフ・図解でみる』(市川寛明編 竹内誠監修 小学館 2004)
p39-62「第2章 自然環境と人口」
p45 「国別の人口と増加率 享保6年(1721)-明治5年(1872)」の表あり。(ただし、武士・公家・僧侶等を除いた数字)
『近世歴史地理学』(山崎謹哉編著 大明堂 1985)
p48「表7 幕末期における藩別身分別人口構成」あり。質問の藩については記載なし。
参照文献「明治初年の人口構成に関する一考察」(土屋喬雄)あるが、所蔵なし。
(《CiNii》より土屋喬雄「明治初年の人口構成に關する一考察」(「社會經濟史學 1(1)」p144-164 1931-05-1))
『歴史遊学 史料を読む』(学習院大学文学部史学科編 山川出版社 2001)
p94-95〈マクロとミクロ〉の項「近世の人口学には、宗門人別帳を数量的に分析する研究がある。六年ごとの人別帳に記された合計の人数の変化を追い、折れ線グラフなどを作成して、どの年に増加したか減少したか、大きな傾向をつかむのに役立てる。
『日本歴史入門 社会の科学入門シリーズ』(板倉聖宣著 仮説社 1981)
p100「(図12) 江戸時代後半に人口の増減がとくにはげしかった地域(国別)の人口の変動を示すグラフ」〈薩摩〉あり。具体的な人数わからず。
その他調査した資料
『江戸の人口の研究』(鷹見安二郎著 東京市 1940)
『近世歴史地理学』(山崎謹哉編著 大明堂 1985)
『近世人口問題史料 経済史研究会叢刊 第4冊』(本庄栄治郎編 清文堂 1971)
『歴史人口学で見た日本 文春新書200』(速水融著 文藝春秋 2001)
『歴史人口学のフロンティア』(速水融、鬼頭宏編 東洋経済新報社 2001)
『徳川日本のライフコース 歴史人口学との対話』(落合恵美子編著 ミネルヴァ書房 2006)
- 事前調査事項
- NDC
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- 予算.決算 (344 9版)
- 日本史 (210 9版)
- 九州地方 (219 9版)
- 参考資料
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- 『藩史大事典 7 九州編』(木村礎〔ほか〕編 雄山閣出版 1988)
- 『日本史籍協会叢書 173 藩制一覧』(日本史籍協会編 東京大学出版会 1967)
- 『国史大辞典 3』(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1983)
- 『藩史総覧』(新人物往来社 1977)
- 『鹿児島県史 2』(鹿児島県編 鹿児島 1980)
- キーワード
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- 鹿児島県-歴史-江戸時代
- 鹿児島県-人口
- 鹿児島藩
- 薩摩藩
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000128777