レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008年08月22日
- 登録日時
- 2008/10/16 13:09
- 更新日時
- 2019/04/30 15:48
- 提供館
- 岐阜県図書館 (2110001)
- 管理番号
- 岐県図-1001
- 質問
-
解決
山崎の合戦で亡くなったのは明智光秀ではなく、影武者の荒木山城守行信であったという話があるが、史実なのか。
- 回答
-
1 史実として紹介している資料は、見つからなかった。
土岐琴川『稿本美濃誌』(宮部書房,1915)では伝説として、この説を紹介している。また光秀が西武芸村中洞(現岐阜県山県市美山地域)の出身であり、山崎合戦後、荒深小五郎と改名し中洞に隠れ住んだが、関ヶ原合戦時、徳川方に味方しようとして出陣し、途中川で溺死した、という話も収録されている(p.94~95)。
2 上記の話は、西美濃地域の郷土誌『西美濃わが街』(2006年9月号「特集・歴史以前の明知光秀」)や、明知光秀公顕彰会の会誌「桔梗」第10号でもとりあげていたが、いずれも伝説として扱っていた。「桔梗」第10号では山県市地元の郷土史家・加藤憲幸氏の講話が紹介されていたが、光秀生存説について「確実な史料がないのは残念」としている。
3 なお、山県市中洞には、この伝説に基づいた光秀の「産湯の井戸」や墓とされるものがある(上記『西美濃わが街』より)。
<2019.4.30追記>
影武者の名前はないが、同様の話は以下にもあり。
4 『「異説」日本人物事典』(三省堂,1983年刊)p.31~p.35に明智光秀に関する項目で記載あり。出典について、江戸時代中期の随筆『翁草』に記されていることを挙げている。『翁草』(神沢貞幹著 安永5年(1776)序文)の巻122「雑話」にあり。
『翁草 : 校訂. 13』(神沢貞幹 編[他] 五車楼書店 明38-39)p.8「明智光秀の事」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772580/8 国会図書館デジタルコレクション・2019年4月確認
5 『美濃雑事紀』(成立年代不明(江戸後期か))… 巻4にも記載あり。ただし場所は西武芸村中洞ではなく洞戸村(現関市洞戸)となっている
『美濃明細記 美濃雑事紀』(一信社,1969年刊)p.671「洞戸村の光秀裔」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1877570/356 国会図書館デジタルコレクション・2019年4月確認
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000048072