レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年6月23日
- 登録日時
- 2017/06/08 16:54
- 更新日時
- 2018/04/26 11:00
- 管理番号
- 名古屋市鶴-2017-019
- 質問
-
名古屋の城下町時代は、本町筋が商売のメインストリートだったが、その後、大津通などに中心が移った。本町筋が名古屋の商業の中心だったのはいつ頃までで、また、何かきっかけで中心ではなくなっていったのかが知りたい。
- 回答
-
商業の中心が本町通から大津通に移った経緯については『名古屋地図さんぽ』にコンパクトにまとめられています。
・明治31年に路面電車ができた頃にはまだ本町筋が商業の中心だった。
・将来的に熱田や港等南部との交通の需要が見込まれるため、南北に走る道路の拡幅が計画された。
・当初は本町筋を拡幅する予定だったが地元の反対にあい、
大津通の延長拡幅が決まった。明治40年開通。
・大津通と広小路の交差点が「栄町」になり、電車が通り、いとう呉服店(松坂屋)ができたことで栄町が中心街としての機能を持つようになった。
『名古屋鉄道百年史』p.40-50によると、当時の名古屋電気鉄道は本町通を通る熱田線実現のために本町通の有力者である富田重助を役員に迎えたものの、結局とん挫し、日露戦争を挟んで明治38年11月に大津通の拡幅が決まりました。
『松坂屋百年史』p44-51には、いとう呉服店が栄町に百貨店を開業した経緯がくわしく書かれています。
また、「名古屋商工会議所月報 那古野」486号及び487号に「栄町界隈」という連載記事が掲載されています。「プロローグと小史」として、栄が明治時代以降経済の中心地となった経緯が書かれています。
- 回答プロセス
-
「大津通 本町通 栄町」をキーワードに調査し、『名古屋地図さんぽ』が見つかりました。参考資料としてあげられている『名古屋鉄道百年史』を調査したところ、経緯の裏づけに加え、より詳しい情報がわかりました。また、松坂屋の社史を調査すると、百貨店開業の経緯についての記述が見つかりました。
当館のホームページ「なごやコレクション」の郷土検索データベースで「栄町」をキーワードに検索すると、「名古屋商工会議所月報 那古野」の記事がヒットしました。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 商業経営.商店 (673 9版)
- 参考資料
-
-
溝口常俊/監修 , 溝口‖常俊. 明治・大正・昭和名古屋地図さんぽ. 風媒社, 2015. (爽BOOKS)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I071538819-00 -
松坂屋. 松坂屋百年史. 松坂屋, 2010.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010950368-00 -
名古屋鉄道 (株) 広報宣伝部 編さん , 名古屋鉄道株式会社. 名古屋鉄道百年史. 名古屋鉄道, 1994.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002356952-00 -
名古屋商工会議所. 名古屋商工会議所月報 : 那古野 7月(486). 名古屋商工会議所, 1988-07.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I000841191-00 (国立国会図書館デジタルコレクション 図書館送信参加館内公開 2018年3月9日確認) -
名古屋商工会議所. 名古屋商工会議所月報 : 那古野 8月(487). 名古屋商工会議所, 1988-08.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001010813-00 (国立国会図書館デジタルコレクション 図書館送信参加館内公開 2018年3月9日確認)
-
溝口常俊/監修 , 溝口‖常俊. 明治・大正・昭和名古屋地図さんぽ. 風媒社, 2015. (爽BOOKS)
- キーワード
-
- 本町通
- 大津通
- 本町筋
- 栄町
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000217046