レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016/09/02
- 登録日時
- 2016/09/03 00:30
- 更新日時
- 2016/09/03 00:30
- 管理番号
- 1000000868
- 質問
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解決
「沖縄そば」の名前の由来を知りたい。
- 回答
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下記の資料から、太平洋戦争後「沖縄そば」という名称が使われ始め、昭和52年に正式に「沖縄そば」という名称が公正取引委員会から認可された。
①
『沖縄そばに関する調査報告書 第1集』 (サン食品 編・刊、1982.7)
p7-41 「II 沖縄そばに関する調査報告 与久田孝子」の論文がある。
p22-23 「3 沖縄そばと名称の変遷」の項目で、p22 「もともとは単に「すば」あるいは「支那すば」とよんだ。…明治三〇年以降の新聞広告にも「支那そば」が使われている。なぜ「支那そば」の呼称が使われたのか、「沖縄そば」のルーツを考えるうえでも重要な論点であるが、今のところ文献資料でも確かめることはできず、また、古老の記憶の範囲を越えている問題なので、不明というほかはない。」の記述がある。
p23 「「すば」「支那すば」の呼び名に変化が起るのは外地との人事交流が盛んになりはじめたころからと思われる。昭和十四、五年の「支那事変」ころから沖縄にも海軍がくるようになった。軍人の「そば」の注文に出されたのが「生そば」ならぬ「そば」であったことから、海軍との間にたびたびトラブルが起きた。このまぎらわしい呼称から、井筒屋では「生そば」と区別するために「沖縄のそばは支那そばです」という説明のしかたをしたという。「沖縄そば」の呼称が一般化するのは戦後になってからである。」の記述がある。
p23-25 「4 調査の感想と今後の課題」の項目で、p23 「琉球王国時代の古文書や諸文献には「そうめん」はしばしば出てくるが、目を通しえた範囲の文献にはついに「そば」の語はみあたらなかった。」の記述がある。
②
『沖縄民俗研究 第21号』(沖縄民俗学会 [編]・刊、2002.3)
p1-30 「沖縄そばの大衆化と伝統化 西村秀三」の論文がある。
p21-23 「呼称にみるネイティヴィティ」の項目で、p21 「関連文献や聞き取り調査によると、かつては沖縄そばを「すば」と呼ぶのが一般的だったらしい。母音の「お」が「う」と発音される琉球語の発音規則に則ったものだとすれば、その原型は「そば」であり、おそらくは本土からの呼称の移入と考えられる。…もともと沖縄にあった麺食に「すば」という呼称を後づけしたのか、それとも本土から輸入された麺食を「すば」と方言式に呼ぶようになったのかという疑問が導かれる。」の記述がある。
p21-22 「また、「沖縄」という接頭詞がついたのはいつ頃なのか。昭和一四、五年頃には沖縄での軍事活動が活発になり始め、そば屋では日本軍向けに誤解が生じないよう「沖縄のそばは支那そばです」とわざわざ断っていたという(与久田一九八二)。「沖縄そば」とラベリングすることで「日本蕎麦」と商品分別し、消費者の便宜を図ることが主眼ではあるだろうが、ここに挿入される自他意識が次第に支那そばから沖縄そばという呼称の分化をうながしていったという仮説は成り立つのではないだろうか。本土では敗戦によって「支那そば」が「中華そば」へと政治的に改められたように、沖縄でも戦後は支那そばという呼び方は薄れていった。が、中華そばとは呼ばれなかった。ここに沖縄なりの事情が影響したと考えるのが、第二の仮説である。米軍の統治下におかれたこと、これにより日本式の呼称に倣うことがはばかられ、同時に、抑圧状況への反響として内なる意識が高揚した結果、そばに沖縄性を発見した。」の記述がある。
p22-23 「沖縄そばの名称が公式に認可されるのは昭和五二年のことである。きっかけは公正取引委員会からの苦情で、全国生めん類公正取引規約に照らすと、そば粉が三〇%以上混入されていなければ「そば」と称することができず、沖縄そばはこの条件を満たしていなかった。この本土復帰の弊害に対して、設立されたばかりの沖縄生麺協同組合が折衝し、県内に限り「沖縄そば」の名称使用が認められた。」の記述がある。
③
『波打つ心の沖縄そば』(まぶい組 編、沖縄出版、1987.8)
p80-119 「スバヤー対談 今蘇る「井筒屋」のそば 新里有四郎 高橋ロコ」の対談で、p102 「ロ 何時頃から「スバ」から「そば」になったんですかね。 新 昔からそばはそばさ。方言でいうと「スバ」になってしまうだけで(笑)。 ロ 言われたんですよ。年寄りに。「おばぁ、そば食べに行こう」「そばやアラン。スバルヤル」ああ、やっぱり沖縄のものだからそばって言ったらだめなのかなと(笑)。でもおもしろいですね。沖縄のものなのに、呼名が支那そば、今でしたら沖縄そばになっていますよねぇ…。 新 あれはね、何故必ず支那そばと書いたのかというと、まぁこれは無意識に書いたとは思うんだが自衛上もあるんですよ。時々船員が入ってきてね、文句言っていましたよ。「こんなそばはないよ」とかね、「こりゃそばじゃない」とか。だから支那そばと書くのは大和そばと区別するため。沖縄そばという言葉はない。」の記述がある。
④
『私の好きな すばやー物語』(すばドゥシの会 編著、ボーダーインク、1995.6)
p117-121 「The history of 沖縄そば」の項目で、p119 「「支那そば」の名称が、当局の指示により「琉球そば」に代えるよう指導を受けたのは大正の初期で、広告の一部に「琉球そば」の文字が見られるが、一般的に「琉球そば」という名称は定着しなかったようである。また大和の兵隊がやってくる時代になって、「そば」と表示すると、いわゆる「日本そば、生そば」と間違えトラブルになったので、あえて「支那そば」と表示する所もあった。「沖縄のそばは、支那そばです」と答えたという。戦後も「井筒屋」のように「支那そば」の名称が看板に使われていた。「沖縄そば」と表記するようになったのは、戦後もだいぶ経ってというが、一般的になったのはやはり復帰後と言えるであろう。「琉球そば」ではなく「沖縄そば」。現在のそばは、「琉球」の時代に作られたのではなく、「沖縄」の時代に出来上がってきた証であろうか。」の記述がある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 食品.料理 (596 8版)
- 参考資料
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- 1 沖縄そばに関する調査報告書 第1集 サン食品 サン食品 1982.7 K59/O52 p7-41
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2 沖縄民俗研究 第21号 沖縄民俗学会∥[編] 沖縄民俗学会 2002.3 K38/O52/21 p1-30 -
3 波打つ心の沖縄そば まぶい組∥編 沖縄出版 1987.8 K59/MA12 p80-119 -
4 私の好きな すばやー物語 すばドゥシの会∥編著 ボーダーインク 1995.6 K59/SU11/1 p117-121
- キーワード
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- 沖縄そば 名前
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000196569