レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年07月20日
- 登録日時
- 2013/07/21 16:27
- 更新日時
- 2015/02/19 08:42
- 管理番号
- 15241
- 質問
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「ささちくせん」という漆芸家について
- 回答
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次の資料に掲載あり。
佐々 竹[セン] ※[セン]の字は「僊」「遷」などが使われている。
<図書>
・香川の漆工芸(K7520 K1 2)
・讃岐漆芸の美展(K7520 T2 2)
<雑誌>
・さぬき美工 昭和40年3・4月号(21号)
- 回答プロセス
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・「香川県人物・人名事典」になし
- 事前調査事項
- NDC
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- 漆工芸 (752)
- 参考資料
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香川県漆器工業協同組合 編. 香川の漆工芸. 高松.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I000984145-00
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香川県漆器工業協同組合 編. 香川の漆工芸. 高松.
- キーワード
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- 佐々竹[セン](ささ・ちくせん) ※[セン]の字は「僊」「遷」などが使われている。
- 「百花園(ひゃっかえん)」
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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(関連情報)
・ザ・コレクション─絵画─/「百花園(ひゃっかえん)」─集いし匠たち─(高松市美術館HP)
http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kyouiku/bunkabu/bijyutu/ex_permanent/p252.html
次の記述あり。
「概要 展示室2 「百花園(ひゃっかえん)」─集いし匠たち─
讃岐漆芸の歴史は、江戸時代末に玉楮象谷が中国や東南アジアで発達した蒟醤(きんま)、彫漆(ちょうしつ)、存清(ぞんせい)の技法を日本的な漆工芸技法として発展させたことに由来し、そのころの高松藩の殖産奨励策ともあいまって高松の地で開花していきました。
近代に入り、香川県輩出の衆議院議員 田中定吉の弟 熊吉により、1907年(明治40)ごろに「百花園」という讃岐彫りを中心に讃岐漆器を商う店を創始しました。「百花園」の所在地は、現在の高松市内に在る裁判所の南で、今の兵庫町の北側にはお城の堀りがあって電話局の裏辺りにあったといわれています。この店には、石井磬堂、高橋皖山、鎌田稼堂、佐々竹僊、森象堂などの塗り・彫りの名人、木地職人らが集い、日々切磋琢磨して技を磨いており、象谷が残した讃岐漆芸を伝承していくとともに漆器の量産化、産業化に貢献し漆工芸の一時代を支えてきました。「百花園」が商われていたのは、明治末から大正2,3年ごろまでの短い期間でしたが、今日の香川の漆工芸作家輩出の源流をなしうるもので、歴史的にも貴重な役割を果たしてきた拠点として位置づけることが出来ます。
このたびの展示では、「百花園」に集い彫りの双璧と謳われた石井磬堂、高橋皖山そして、後に人間国宝となった音丸耕堂ら名工たちが残した作品30点を紹介します。」
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000134125