レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年07月15日
- 登録日時
- 2015/07/16 13:16
- 更新日時
- 2019/04/13 20:59
- 管理番号
- いわき総合-地域334
- 質問
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解決
小名浜港の防波堤となっている駆逐艦「澤風(さわかぜ)」「汐風(しおかぜ)」について知りたい。
できれば写真も見たい。
- 回答
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小名浜港には、全国的にも珍しい駆逐艦を沈めて造られた防波堤があります。
『小名浜沿岸域形成史』のP60「戦後の復興と国際港としての胎動」に、澤風、汐風が沈設された経緯の記述がありました。これによると、澤風は昭和23年4月2日、小名浜魚市場の50m先の沿岸に沈設、汐風は同年8月25日、第一号埠頭の護岸の西側部分に沈設されました。
『いわき市史 第4巻』のP404「防波堤に供された駆逐艦汐風」にも、当時コンクリート、石材等の建設資材の不足や、米軍の強い方針があって廃艦を利用した防波堤工事が行われた、といった背景の記述がありました。その後、澤風は昭和40年に撤去され、現在は汐風のみが沈設されています。
また、「いわき民報」(昭和64(平成元)年1月1日)には、「小名浜港に眠る駆逐艦汐風 元乗組員らが艦上で鎮魂祭」と大きく特集が組まれ、汐風の戦歴など詳しく紹介されています。現役艦として活躍していた頃の汐風の写真も掲載されています。
この他、写真については『開港までの礎』のP77~83に掲載されていました。
なお、現在も1号埠頭には沈船防波堤の歴史を伝える案内板が、三崎公園には澤風のタービンが記念碑とともに保存されています。
【追記】『小名浜港ケーソンヤード史』の「4-1 沈船防波堤」(P112~127)にも、詳細な記述がありました。沈設据付記録や「第二港湾建設部技術要報」に発表された記録(図面などあり)が掲載されています。
「いわき民報」昭和39年1月30日~2月8日、10日~12、14,17、19日の(1)に「 解体される駆逐艦”沢風”物語り」が15回連載され、沢風に関係した人々の談話が掲載されています。
- 回答プロセス
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1.資料を調査
【資料①】『小名浜沿岸域形成史』
P60に沈設された経緯、背景などの記述があった。巻末に年表あり。
【資料②】『いわき市史 第4巻』
P404に沈設された経緯、背景などの記述があった。
【資料③】「いわき民報」(昭和64(平成元)年1月1日)第6部(1)
汐風や沈設された状態の写真が大きく掲載。汐風の戦歴や、乗組員の話などが特集記事として大きく掲載されている。
【資料④】『開港までの礎』
P77~83に沈設された当時の写真が大きく掲載されている。巻末に年表あり。
【資料⑤】『艦長たちの軍艦史』(外山操 光人社 2005)
P219に澤風、P226に汐風についての記述あり。写真はないが、それぞれの艦の概要、戦歴、歴代艦長など詳細な記述あり。(汐風の項の最後に「宮城県女川港の防波堤として利用された」とあるがこれは間違いでは?)
2.インターネットで調査
Googleで「澤風 小名浜港」を検索すると、以下のサイトがヒット。
【資料⑥】Web「沈船防波堤「汐風」「澤風」」
http://kampfgebiet.server-shared.com/index_strategie-02.html
震災後の状況などがレポートされている。写真や図などが多く分かりやすい。
【追記】【資料⑦】『小名浜港ケーソンヤード史』にも記述を確認。(2015.9.28)
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 海軍 (397 9版)
- 海運 (683 9版)
- 参考資料
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- 【資料①】『小名浜沿岸域形成史』[K/683/オ・1110084967]
- 【資料②】『いわき市史 第4巻』[K/210.1-1/イ・1110038534]
- 【資料③】『いわき民報 縮刷版』(昭和64(平成元)年1月1日)[K/071/イ・1110199856]
- 【資料④】『開港までの礎』[K/683/カ・1110084108]
- 【資料⑤】『艦長たちの軍艦史』[397.2/ト・1112777105]
- 【資料⑥】Web「沈船防波堤「汐風」「澤風」」[最終アクセス2015.7.15]
- 【資料⑦】『小名浜港ケーソンヤード史』[K/513/オ・1110095914]
- キーワード
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- 小名浜港
- いわき 戦争
- 沈船防波堤
- 澤風
- 沢風
- 汐風
- 軍艦
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000177362