このページではJavaScriptを使用しています。お客様の閲覧環境では、レファレンス協同データベースをご利用になれません。

レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000020746
提供館
(Library)
宮崎県立図書館 (2110038)管理番号
(Control number)
宮崎県立般5
事例作成日
(Creation date)
平成17年3月22日登録日時
(Registration date)
2005年03月22日 09時45分更新日時
(Last update)
2019年03月08日 15時02分
質問
(Question)
宮崎のラミー生産・工業について知りたい。
回答
(Answer)
県がラミーの奨励を始めたのは、大正元年からで昭和4年川南町に農林省麻類試験地が設立され以来漸次面積も増え戦時中は一時1200トンを越える生産量あげ軍需用としても取引された。戦後は主要食料増産という急務から一時生産が減退したが、経済の好転に伴って衣料としての需要が増大したため急激に増産され全国第一位の生産県へ躍進するに至った。またラミー紡績工場としては都城市の日本繊維工業株式会社があった。
『織物原料』にラミーの栽培と収穫、性質等について詳しく書かれている。
宮崎日日新聞の昭和50年の「昭和50年 100万人の歩んだ道」という連載記事のうち6月15日付けには第76回に「ラミーとビート」として、ラミーが取り上げられ、戦時中は軍需用のため、食糧増産時代であっても別格に生産され、化学繊維の登場とと外麻との競合により、昭和39年県が栽培奨励を断念されるまでの経緯がまとめられている。
回答プロセス
(Answering process)
『宮崎県政八十年史』495Pに「県がラミーの奨励を始めたのは、大正元年(1912)からであるが、昭和四年(1929)川南町に農林省麻類試験地(現在は九州農業試験場畑作部に統合)が設立され、以来漸次面積も増え戦時中は一時1,200トンを越える生産量をあげ、全量が軍需用として取引されたこともあった。」とわかった。次に『宮崎県川南町産業実態調査報告書』を調査したところ「川南村は昭和15年には県下第一のラミー生産村」となっていることが分かり、参考資料として「ダイヤモンド産業全書  森岡一著『製麻』」が挙げてある。その中に日本繊維工業株式会社が都城市にあり、鐘ケ淵紡績株式会社が都農町にあることがわかった。次に『都城市史』・『都城商工名鑑1959』に日本繊維工業株式会社の事実あり。
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
繊維工学  (586)
参考資料
(Reference materials)
『伸びゆく県政-県政4ケ年のあゆみ-』(宮崎県)45P
『川南町史』(川南町 昭和58年11月)381P,394P
『都城商工名鑑 1959』(都城商工会議所 昭和35年3月)
『都城市史』(都城市制40周年記念都城市史編さん委員会 昭和45年3月)260P,280P,284P,
『都農町史』(都農町 平成10年6月)774P
『ダイヤモンド産業全書(10)製麻』(森周一 昭和25年3月)206P|ラミーの剥皮作業等の写真あり。
『織物原料』(大住吾八著 昭和14年10月)95P
『宮崎県大観 上』(小寺鐡之助編 昭和27年12月)18P
『宮崎県政八十年史 下巻』(宮崎県 昭和42年)495P
『宮崎県川南町 産業実態調査報告書』(日本農業研究所九州分室 編 昭和28年2月)451P
『昭和39年12月宮崎県定例県議会会議録』381P
キーワード
(Keywords)
ラミー
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000020746解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
Twitter

このデータベースについて
国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築している、調べ物のためのデータベースです。詳細

活用法

刊行物・グッズ
新着データ
最近のアクセスランキング
レファ協PickUP!