レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年06月19日
- 登録日時
- 2017/07/08 14:34
- 更新日時
- 2017/11/07 14:15
- 管理番号
- 埼熊-2017-021
- 質問
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解決
江戸時代初期、武田氏の家臣や関が原の戦いなどで負けた武士たちが関東で帰農したことについての記述のある資料がみたい。
- 回答
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以下の資料に関連の記述があった。
『関東郡代伊奈氏の研究』(小澤正弘著 2004)
p25-27 「第一章 武蔵国東部における新田開発政策 第一編 新田開発政策 六、新田開発II型 (三)、新田開発者と開発政策」
「この沼沢地が忠治の頃から盛んに開発されるわけであるが、実際とんな人々によって、どのように開発されたのであろうか。(略)彼らはどういう人物かというと他所からやってきた浪人や農民が多いのである。」
『伊奈氏一族の活躍 伊奈町史 別編』(埼玉県伊奈町 2008)
p50「さらには新田開発においても開発のための人材、すなわち土豪的百姓や浮浪人、隷属的農民などが移住してきて開発が行われていった。」
p54「関ヶ原の戦いでは、多くの大名が滅ぶとともに、その家臣団が主を失っていた。忠冶が着目したのは、そうした「牢人」衆であった。ただし時代は大坂の陣前後であり、トラブルの経歴が無いことが条件であった。」
- 回答プロセス
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- 事前調査事項
- NDC
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- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
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- 『関東郡代伊奈氏の研究』(小澤正弘著 2004)
- 『伊奈氏一族の活躍 伊奈町史 別編』(埼玉県伊奈町 2008)
- キーワード
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- 伊奈町
- 伊奈 忠治(イナ タダハル)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000218492