レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2004/03/15
- 登録日時
- 2004/05/05 02:10
- 更新日時
- 2019/02/15 08:55
- 管理番号
- 千県西-2018-0013
- 質問
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解決
松虫寺の七仏薬師に関する資料と、松虫姫の伝説に関する資料を、探している。
- 回答
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印西市にある松虫寺の七仏薬師と松虫姫について書かれた資料として、以下のものを紹介しました。
【資料1】『房総寺でらへの道』(酒井秀郎著 フリー・タイムス千葉 1978)
p21-30「松虫寺」
ここでは松虫姫を「聖武天皇第三皇女不破内親王松虫姫」とし、難病にかかった際に夢枕に立った薬師如来のお告げに従い下総国萩原郷で養生したところ回復したこと、その地で天皇が行基に命じて作らせた七仏薬師を祀る一寺が「松虫寺」であることが書かれています。
その他、薬師堂の裏手にある「松虫皇女廟」は姫の死後遺骨の一部が葬られた廟であるなど、この地に伝わる他の松虫姫の伝説も紹介しています。
七仏薬師に関しては、p26-28「七仏薬師像」で「藤原中期頃の作」とし、形態や作風が紹介されています。
なお同様の記述が、以下の資料にもありました。
【資料2】『東国の古寺巡礼』(氏平裕明著 芸艸堂 1981)
p300-304「松虫寺」
【資料3】『印旛沼周遊記 沼周辺の自然と歴史』(小川元著 崙書房 1988)
p72-74「松虫寺」
七仏薬師は「平安後期の作」としています。
【資料4】『房総の史跡散歩』(篠崎四郎著 国書刊行会 1987)
p48-49「19 松虫寺のはなし」
【資料1】と同様の松虫姫伝説を紹介しながらも、「このような皇女があったか否かの史実はどこにもありません」「はるか後のできごとを奈良朝の皇女にすりかえたのではないか」としています。
また、「七仏薬師」という項目で七仏薬師像についても紹介しているほか、松虫姫坐像と薬師如来坐像の写真があります。「造立年代は藤原時代」とありました。
【資料5】『房総の伝説』(平野馨編著 第一法規 1976)
p19「松虫姫と蚕」
松虫寺に伝わる伝説の一つとして、以下の話が紹介されていました。
「聖武天皇の王女であった松虫姫は、継母にいじめられ、都からはるばるここに逃げてきたが、かわいそうにもこの地で亡くなり松虫寺に葬られた。その姫の化身が蚕であるという。」
【資料6】『千葉県史跡と伝説』(荒川法勝編 暁印書館 1990 写真で綴る文化シリーズ)
p49-51「松虫姫と佐倉宗吾の伝説」
【資料7】『近世実録全書』第3巻(早稲田大学編輯部編 早稲田大学出版部 1917-1918)に収録されている「佐倉義民伝」が引用されており、そこによれば「朱雀院の皇女松虫姫」は「悪疾の悩みをお持ちで」、下総の国に配流されて「程経て姫はここでなくなられた」とされています。(【資料7】は国立国会図書館デジタルコレクション/インタ-ネット公開で閲覧可能。144コマ目)
しかしその一方、「一説によれば時代はもっとさかのぼって、松虫姫は聖武天皇の皇女であったともいう」と【資料1】と同じ内容の伝説も紹介しています。
なお、松虫姫について【資料1】と同様の記述があった資料には、以下のものがあります。
【資料8】『利根川図志 4』(赤松宗旦著 崙書房 1978)
p5「松蟲皇女廟」
七仏薬師如来については行基の作で天平年間に建立された、とありました。
読み下し文は【資料9】『利根川図志 坂東太郎の流域紀行』が国立国会図書館デジタルコレクション/参加館公開でご覧になれます。(88コマ)
【資料10】『佐倉風土記』(佐倉市教育委員会〔ほか〕編集 佐倉市教育委員会 1974)p21(書き下し文はp53)
【資料11】『千葉県女性人名辞典』(新羅愛子著 青史社 1984)
p164「松虫姫」
【資料12】『千葉県印旛郡誌』(〔千葉県印旛郡役所編輯〕 千秋社 1989)
巻四 第十六「六合村誌」p372「第2節 郷土の各説 (1)松虫」
薬師如来像については「天平年中の造立とつたふ」とあります。
【資料13】『佐倉誌 北総名勝』(林寿祐著 印旛郷土研究会 1973)
第二篇「佐倉附近誌」p52-53「松虫寺」
薬師如来像については、聖武天皇が行基に命じて作らせたという記述がありました。
【資料14】『日本伝説叢書 下総の巻』(藤沢衛彦編著 すばる書房 1977)
p125「松蟲姫」
(以降は2018年10月追加調査)
【資料1】と同様の記述が見られた資料としては、以下のものがありました。
【資料15】『印旛村史 通史 1』(印旛村史編さん委員会編集 印旛村 1984)
口絵に松虫寺の七仏薬師の写真が掲載されており、p307-309「三 松虫寺と松虫姫伝説」では松虫姫の伝説・寺の歴史・七仏薬師について書かれています。
松虫姫の伝説については、詳細が【資料16】『印旛村史 通史 2』p915-918「1 いんばの伝説 (1)松虫姫と松虫寺」に詳細が掲載されています。
【資料17】『北総線の小さな旅 西白井駅-印旛日本医大駅編 歩き旅を楽しむ』(北総鉄道 2009)
p110-113「松虫寺」
【資料18】『印西風土記』(五十嵐 行男著 月刊千葉ニュータウン 2008)
p72-75「松虫寺と七仏薬師」
【資料19】『新・印西名所図会 印西歴史ガイドブック』(印西市史編さん委員会編集 印西市教育委員会 2016)
p94-95「松虫寺」
【資料20】『いんざい再発見 創刊号 印西地域の歴史と文化・自然』(印西地域史研究会編 印西地域史研究会 2013)
p76-77「【コラム4】松虫寺七仏薬師ご開帳に寄せて」
七仏薬師の由来については「行基作と伝えられていますが、調査によると平安時代後期の作ということです」とありました。
【資料21】「伝説 松虫姫物語 治癒祈り奈良の都から下総へ」(『千葉日報』2003年5月30日)p17
【資料22】「新房総の古寺巡礼三十三ケ所11 松虫寺 代表的な密教建築 七仏薬師」(『千葉日報』1995年6月24日)p14
【資料23】「松虫寺」公式ホームページ(https://matsumushi.com/)
「伝説 松虫姫の物語」の項目で松虫姫伝説について、「松虫寺の文化財」の項目で七仏薬師について書かれていました。
【資料1】と同じ松虫姫の伝承のみが書かれた資料としては、【資料24】【資料25】が見つかりました。(参考資料欄を参照)
七仏薬師の来歴や作風は、以下の資料に詳しく書かれていました。造立年代について、【資料27】には平安時代末期~鎌倉時代、【資料28】には平安時代末期とありました。
【資料26】『房総の仏像彫刻 有形文化財・彫刻』(千葉県教育庁生涯学習部文化課編集 千葉県教育委員会 1993)
p54-55「18 木造薬師如来坐像・薬師如来立像(七仏薬師)」
【資料27】『仏像半島 房総の美しき仏たち』(千葉市美術館編集 千葉市美術館 2013)
七仏薬師の写真はp104-105「47 七仏薬師如来坐像」に、解説はp219に書かれています。
【資料28】『関東古寺の仏像 千葉県』(川尻祐治編集 芸艸堂 1976)
p155「松虫寺」
- 回答プロセス
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・千葉県内図書館横断検索を検索したところ、【資料1】【資料3】【資料4】【資料11】【資料6】が見つかりました。
・【資料1】の参考文献として【資料5】、【資料3】の参考文献として【資料2】、【資料4】の参考文献として【資料8】【資料10】、【資料11】の参考文献として【資料12】~【資料14】がそれぞれ紹介されていました。
(以降は2018年10月追加調査)
・松虫寺の所在地などを確認するため、『日本歴史地名大系 12 千葉県の地名』(平凡社 1996)p370「松虫寺」を確認。
現在地は「印旛村松虫」とあったので、パスファインダー「千葉県の「市町村」について(市町村史等一覧)」(http://www.library.pref.chiba.lg.jp/pf_sityosonsi_itiran201804.pdf)を参考に、【資料15】【資料16】を確認しました。
・当館蔵書検索で全項目「松虫寺」と検索し、【資料24】を見つけました。
・同じく分類「718」で全項目「石仏」を含まないものを検索したところ、【資料26】~【資料28】を見つけました。
・同じく全項目「松虫」×資料種別「千葉県資料」を検索。
見つかった『印波の森 松虫姫夢譚』(花山蛇行著 [花山蛇行] 2010)を確認したところ、参考文献として【資料12】【資料15】が挙げられていました。
また、他の参考資料として「『松虫寺ものがたり』岩井宏純著」が紹介されていますが、当館や蔵書検索や国立国会図書館サ-チでは書誌事項が見つかりませんでした。
・当館の千葉県資料の書架を確認し、【資料17】~【資料20】を見つけました。
・千葉県の郷土資料などを検索できる千葉県立図書館菜の花ライブラリ-(http://www.library.pref.chiba.lg.jp/nanohana/)でキーワード「松虫姫」と検索し【資料21】【資料25】を、「七仏薬師」と検索し【資料22】を見つけました。
・松虫寺の公式ホームページがないか探すためにGoogleで「松虫寺」と検索し、【資料23】を見つけました。
・情報が見つからなかった資料
『天正18年の秋 伝記物語』(田中悦子作 羽根井禎敏 1994)
※p1-79に、松虫姫の伝説を基にした小説「松虫姫物語」が掲載されています。(参考文献なし)
『仏像 心とかたち』(望月信成[ほか]著 日本放送出版協会 1975 NHKブックス 20)
『印西市の仏像 印西地域編』(印西市教育委員会編 印西市教育委員会 2014)
※旧印西市地域の仏像について
(インターネット最終アクセス:2018年10月30日)
※参考資料末尾の数字は当館の資料番号です。
- 事前調査事項
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印旛村教育委員会「歴史散歩」パンフレット
- NDC
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- 寺院.僧職 (185 9版)
- 伝説.民話[昔話] (388 9版)
- 仏像 (718 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『房総寺でらへの道』(酒井秀郎著 フリ-・タイムス千葉 1978)(1100050802)
- 【資料2】『東国の古寺巡礼』(氏平裕明著 芸艸堂 1981)(9102390693)
- 【資料3】『印旛沼周遊記 沼周辺の自然と歴史』(小川元著 崙書房 1988)(1100684160)
- 【資料4】『房総の史跡散歩』(篠崎四郎著 国書刊行会 1987)(1100530647)
- 【資料5】『房総の伝説』(平野馨編著 第一法規 1976)(9200179957)
- 【資料6】『千葉県史跡と伝説』(荒川法勝編 暁印書館 1990 写真で綴る文化シリ-ズ)(1100905350)
- 【資料7】『近世実録全書』第3巻(早稲田大学編輯部編 早稲田大学出版部 1917-1918)(国立国会図書館デジタルコレクション/インタ-ネット公開 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953585)
- 【資料8】『利根川図志 4』(赤松宗旦著 崙書房 1978)(1100530478)
- 【資料9】『利根川図志 坂東太郎の流域紀行』(赤松宗旦著 岩波書店 1938)(国立国会図書館デジタルコレクション/参加館公開 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9641999)
- 【資料10】『佐倉風土記』(佐倉市教育委員会〔ほか〕編集 佐倉市教育委員会 1974)(9200012353)
- 【資料11】『千葉県女性人名辞典』(新羅愛子著 青史社 1984)(1100007285)
- 【資料12】『千葉県印旛郡誌』(〔千葉県印旛郡役所編輯〕 千秋社 1989)(1100766444)
- 【資料13】『佐倉誌 北総名勝』(林寿祐著 印旛郷土研究会 1973)(9200056830)
- 【資料14】『日本伝説叢書 下総の巻』(藤沢衛彦編著 すばる書房 1977)(9200179901)
- 【資料15】『印旛村史 通史 1』(印旛村史編さん委員会編集 印旛村 1984)(9200283104)
- 【資料16】『印旛村史 通史 2』(印旛村史編さん委員会編集 印旛村 1990)(9200283113)
- 【資料17】『北総線の小さな旅 西白井駅-印旛日本医大駅編 歩き旅を楽しむ』(北総鉄道 2009)(1102223215)
- 【資料18】『印西風土記』(五十嵐 行男著 月刊千葉ニュ-タウン 2008)(1102344598)
- 【資料19】『新・印西名所図会 印西歴史ガイドブック』(印西市史編さん委員会編集 印西市教育委員会 2016)(1102463768)
- 【資料20】『いんざい再発見 創刊号 印西地域の歴史と文化・自然』(印西地域史研究会編 印西地域史研究会 2013)(1102338090)
- 【資料21】「伝説 松虫姫物語 治癒祈り奈良の都から下総へ」(『千葉日報』2003年5月30日)p17
- 【資料22】「新房総の古寺巡礼三十三ケ所11 松虫寺 代表的な密教建築 七仏薬師」(『千葉日報』1995年6月24日)p14
- 【資料23】「松蟲寺」ホームページ(https://matsumushi.com/)
- 【資料24】『印西自転車散歩マップ 田園・水辺空間満喫ル-ト(印旛沼干拓田、吉高の大桜、松虫寺)』(印西いーまち会 2014)(1102398740)
- 【資料25】千葉県文学教育の会 「ふるさとの民話72 松虫姫の話」(『ニューライフちば』225号 1982年3月)p14
- 【資料26】『房総の仏像彫刻 有形文化財・彫刻』(千葉県教育庁生涯学習部文化課編集 千葉県教育委員会 1993)(1101232793)
- 【資料27】『仏像半島 房総の美しき仏たち』(千葉市美術館編集 千葉市美術館 2013)(1102349128)
- 【資料28】『関東古寺の仏像 千葉県』(川尻祐治編集 芸艸堂 1976)(9200212668)
- キーワード
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- 千葉県-印西市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 郷土
- 質問者区分
- 社会人 社会人
- 登録番号
- 1000004196