レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年4月6日
- 登録日時
- 2017/12/14 11:37
- 更新日時
- 2018/01/21 12:40
- 管理番号
- 2017-35
- 質問
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解決
伯方町北浦出身の赤瀬林造の経歴や活動、地元に残っているものについて知りたい。
- 回答
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【資料1】から抜粋
明治4年3月1日、北浦寺坂の赤瀬音三郎の二男として生まれる。
寺子屋で修学の後、岡山県笠岡市沖の北木島へ「かしき」(石材採掘見習)として出稼ぎにいった。
27才で北木島において小丁場を経営、その後赤瀬金七所有の石丁場を購入するなど、事業を拡大していった。
第一次世界大戦をはさんだ未曾有の好景気に、林造は建築用石材の新分野を開拓し、石船三隻を新造する等販路を開拓する等、大正時代には事業は大発展を続けた。
この間、氏は郷土出身の石工を助け、共に北木の石材産業の発展に努力した。
明治41年には北木島石材採掘業組合長に選出され、昭和4年までの22年間指導者となって、日本一の北木石材産業の基礎を築いた。
林造は郷土も忘れることなく、大正8年には北浦に家屋を新築し、田畑を相次いで購入し、西伯方島においても、地盤を築いていった。
昭和4年西伯方村議会議員当選、西伯方保免委員にも当選しており、大正元年から昭和22年まで、西伯方村の行政面においても力を発揮した。
昭和9年頃より、石材関係の事業から製塩業へと転身を図り、伯方島においても、製塩業を広げる。
また、北浦村だけでなく、伯方島、大三島、大島等の寺院や神社に多大な寄進をするなど、篤信家でもあった。
大正10年代、北浦尋常高等小学校の高等科在学生に対して、北浦出身者だけでなく、100名を下らない生徒の授業料を負担した。
他に【資料2】から【資料5】を調査したが、掲載はなかった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289)
- 四国地方 (218)
- 参考資料
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- 【資料1】『伯方町誌』(伯方町誌編纂会 1988年)<当館請求記号:K292.2-34>p1426-1428 第7編人物 8 実業家赤瀬林造
- 【資料2】『創立九十周年記念誌』(伯方町立北浦小学校 1968年)<当館請求記号:ムラK376.28-ソウ>
- 【資料3】『越智郡郷土人物伝 明治百年記念』(越智郡校長会 1968序)<当館請求記号:K282-9>
- 【資料4】『越智郡郷土人物小伝』(愛媛県教育会越智部会 1935年)<当館請求記号:K282-10>
- 【資料5】『伯方島誌』(伯方町立北浦小学校 1967年)<当館請求記号:K292.2-15>
- キーワード
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- 伯方町北浦(はかたちょうきたうら)
- 赤瀬林蔵(あかせ・りんぞう)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000226386