レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年10月21日
- 登録日時
- 2013/10/21 22:54
- 更新日時
- 2013/10/22 12:35
- 管理番号
- 20131021-16
- 質問
-
解決
王重陽について知りたい。
- 回答
-
王重陽 【おうじゅうよう】 コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E7%8E%8B%E9%87%8D%E9%99%BD (2013/10/21確認)
世界大百科事典 第2版の解説
おうじゅうよう【王重陽 Wáng Chóng yáng】 1113‐70
中国,金代の道士。新道教の一派,全真教の創立者。陝西省咸陽大魏村の人。初めの名は中孚,字は允卿,得道して名を喆(嚞)(てつ),字を知明(智明)と改め,重陽子と号した。最初科挙を目指したが果たさず,武挙(武官の試験)に応じて合格した。けれども重用されず,締りのない生活を送り,害風と呼ばれた。1159年(正隆4),甘河鎮で呂洞賓ともされる異人に会い口訣(くけつ)を授けられてから,妻子を棄てて修業し,得道して全真教(金蓮正宗)を開いた。
大辞林 第三版
おうてつ【王嚞】
(1113~1170) 中国,金の道士。全真教の創始者。字(あざな)は知明,号は重陽。山東で布教。
デジタル大辞泉
おう‐てつ 〔ワウ‐〕 【王嚞】
[1113~1170]中国、金(きん)の道士。全真教の開祖。咸陽(かんよう)(陝西(せんせい)省)の人。字(あざな)は允卿(いんけい)。号は重陽子。48歳のとき、改心して道士となり、全真教を樹立し、山東半島に布教。著「重陽立教十五論」など。
王嚞(おうてつ) Yahoo!百科事典[日本大百科全書(小学館)]
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E7%8E%8B%26%23x569E%3B/ (2013/10/21確認)
(1113―1180)
中国、金代の道士。道教の一派全真(ぜんしん)教の開祖。初名は中孚(ちゅうふ)、字(あざな)は允卿(いんけい)。回心後、喆(てつ)(哲と同字)と改名。重陽子(ちょうようし)と号し、開教後さらに嚞(てつ)に改める。北宋(ほくそう)の政和(せいわ)2年末、咸陽(かんよう)の大魏(たいぎ)村(陝西(せんせい)省)の富裕な地主の家に生まれる。・・・
おもな著作に『重陽立教十五論』『金関玉鎖訣(きんかんぎょくさけつ)』『全真集』『教化集』などがある。
参考文献
吉岡義豊著『道教の研究』(1952・法蔵館)
中国文化史大事典 / 尾崎雄二郎, 竺沙雅章, 戸川芳郎編集代表 東京 : 大修館書店 , 2013 ISBN:97844690128
p.86 おうちょうよう 【王重陽】
中国学芸大事典 近藤春雄著 大修館書店 1978 ISBN:4469032018
p.52 おうてつ 【王嚞】
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 中世思想.近代思想 (125 9版)
- 中国 (222 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 王嚞 おうてつ
- 王重陽 おうちょうよう おうじゅうよう
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000139306