レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/09/13
- 登録日時
- 2019/09/30 00:30
- 更新日時
- 2019/10/02 11:51
- 管理番号
- 滋2019-0016
- 質問
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解決
近江出身の洋学者・田島柳卿(1789-1873)の生涯について書かれた論文や本が知りたい。
あわせて、柳卿が作成した器物(望遠鏡、地球儀)について現在の所在情報や、これに対する研究論文や本もあれば教えてください。
- 回答
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田島柳卿の生涯について書かれた論文や本、田島柳卿が作成した望遠鏡、地球儀などの器物の現在の所在情報については、当館所蔵資料からは見つかりませんでした。
しかしながら、当館所蔵資料に次のような記載がありましたので、ご紹介いたします。
1.『滋賀県百科事典』
「たじまりゅうきょう 田島柳卿 1789~1873 医者、天文地理学者。蒲生郡日野町大窪の人。本姓は里見氏で安房国の出身。柳卿の代に大窪で医者を開業する。早くから西洋の学問に興味を持ち、自分の庭に高台をつくり、自分でつくった天体望遠鏡で天体観測を行う。また、地球儀をつくり、世界の国名はもちろん、海洋や港湾などもくわしく記載している。こうした研究をもとに、1840年(天保11)に『地球図』を、1845年(弘化2)には『地道略説』を刊行している。さらに早くから写真術もまなんで、1858年(安政5)3月自分の古希記念に尚歯会(敬老会)へ、参加者の「御真像」をうつしてあげましょうと案内を出している。1873年(明治6)7月30日、85歳で没。」
2.『近江蒲生郡志 巻八』「第五編 人物志」
「田島柳卿は日野の人なり其先は里見氏にして安房に住す、後本郡左久良谷に来り赤根喜太郎の邸趾に移住すること数代柳卿に至り日野に出つ、通称良輔蘭園と号す医を業とすれども早く眼を泰西の文物に注ぎ殊に天文地理の学を研鑽し庭上に天文台を構え自から望遠鏡を製し夜々台に登りて天体を窺い発明する所多し、又地球儀を手製し大小の列国より海洋港湾に至る迄詳細記載す、天保十一年地球図を上梓し弘化二年地動略説を印行す、柳卿又早く写真術を解したり安政六年齢七十に達し三月朔二の両日を卜し尚歯会を開き古老を会し席上書画詩歌等を催し且つ自から紀年写真を撮影すべきを云い若し会日雨天なれば順延なるを報じたり、誰か知らん安政中綿向山下に写真術の新知識を会得せし人あるを、柳卿かく泰西の文物に造詣深かりしも又我邦皇基の振作に勉め明治二年修心教を著し翌年更に皇教眞洲鏡を編し共に梓して同志に頒布せり、修心教は若村貞彙後序を撰し皇教眞洲鏡には駿河の人本多幹、序文を書せり、序中に「其議論平生文辞撰実務使読者知皇國之可尊天命之可畏」云々とあり、某年藤本鉄石訪ひ来る柳卿款待其家に悠遊せしめたり、明治六年七月三十日歿す年八十五、正明寺に葬る一男一女あり男を順輔といふ。(原文は旧漢字)
3.『日本人名大事典』
「タジマリューケイ 田島柳卿(1789-1873)」 の項目が、『近江蒲生郡志』に基づいて記述されています。
4.『近江日野の歴史 第3巻』「第四章 文化の成熟と社会の変容」
日野において学問を深めた人物として田島柳卿についての記述があります。ここでは、田島柳卿の著書、『?蘭地球全図(おらんだちきゅうぜんず)』、『天学捷径道話(てんがくちかみちどうわ)』、『地球万国全図説覧』、『地動略説』を挙げ、そのあらましとともに、田島柳卿がどのように天文学の理解を深めていったかについて記述されています。
5.『近江日野町志 巻下 』
田島柳卿についての記述中に「此の望遠鏡并に地球儀今尚石岡庄助氏所蔵せり」と附記されています。この本の出版は1930年ですので、その当時は石岡家が所蔵していたようです。なお、石岡庄助家については、『近江日野の歴史 第7巻 』「日野商人略伝」に、享保12年(1727)年、石岡六兵衛の代に駿河国府中札の辻(静岡市)に出店を設け、安政3年(1856)には、田島柳卿と相談のうえ田島氏との共同経営となった、との記述があります。
5.その他
①「鮎沢信太郎「近世日本における地球説地動説の展開」(『日本歴史』71号、p.34)に、「西洋流の地動説について言い及んでいる資料をこゝにあげて見よう」「田嶋良 地動略説(刊年不明)」と記述されています。
②年表(『日本暦学史』p.453) に、「1841年 田島良、『天學捷径道話』刊行」、「1845年 田島良、『地動略説』成る。」と記述されています。
- 回答プロセス
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たじまりゅうきょう1789-1873 医者 天文学者。蒲生郡日野町大窪の人。本姓は里見氏で先祖は安房国の出身。『地球図』1840(天保11)、『地道略説』1845(弘化2) ・・・石川正知
『近江蒲生郡志2、3、4、5、6、7、8。9、10』×
『近世日本天文学史(上・下)』人名索引、事項索引× 年表記載あり
『洋学関係研究文献要覧』×
『日蘭文化交渉史の研究』×
『幕末の洋学』中山茂×
『蘭学資料研究』第18巻 中山茂「地動」ということ× 、第4巻× 広瀬秀雄「江戸時代の天文家と地動説」×
『日本歴史71號』鮎沢信太郎「近世日本における地球説地動説の展開」p.34 「西洋流の地動説について言い及んでいる資料をこゝにあげて見よう」「田嶋良 地動略説(刊年不明)」との記載あり
『日本歴史 第14號』田中實「わが國における化学認識の成立について」×
『日本暦学史』p.453 年表 「1841年 田島良、『天學捷径道話』刊行」、「1845年 田島良、『地動略設』成る。」
『近世日本天文学史(下)』p.985年表「天保13 1842 田島良「天学捷径道話」1冊刊」、p.987「弘化2 1845 田島良「地動略説」1冊刊」との記載あり、人名索引には記載なし。
『日本天文暦学史料のグローバルな調査と総合目録の作成』×
『星に惹かれた男たち』×
『科学機器の歴史:望遠鏡と顕微鏡』×
『日本の天文学』×
『日本洋学史の研究』×
『江戸の天文学』×
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 8版)
- 参考資料
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- 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84
- 2 近江蒲生郡志 巻8 蒲生郡役所∥編集 蒲生郡役所 1922年 S-2140-8 p.840-p.841
- 3 近江日野町志 巻下 日野町教育會∥編 日野町教育會 1930年 S-2145-3 p.612-p.613
- 4 近江日野の歴史 第3巻 近世編 日野町史編さん委員会∥編集 日野町 2013.3 S-2145-3 p.490-p.491
- 5 近江日野の歴史 第7巻 日野商人編 日野町史編さん委員会∥編集 日野町 2012.3 S-2145-7 p.565
- 6 日本人名大事典 4 タカ?ナ 平凡社 1979年 R-2810-4 p.141
- 7 日本歴史 第8巻 吉川弘文館 P 「近世日本における地球説地動説の展開」鮎沢信太郎
- 8 日本暦学史 佐藤政次 駿河台出版社 1968年 2-4490-サ p.453
- 9 江戸の天文学 中村士∥監修 角川学芸出版 2012.8 G-4402-ナ
- 10 日本天文史料 上 日食・月食・月星接近 神田茂∥編 原書房 1978年 2-4490-カ
- 11 日本天文史料 下 惑星現像・星畫見・彗星・流星雑象 神田茂 原書房 1978年 2-4490-カ
- 12 日本天文史料綜覧 神田茂∥編 原書房 1978年 2-4490-カ
- 13 科学機器の歴史:望遠鏡と顕微鏡 塚原東吾∥編 日本評論社 2015.6 G-5354-ツ
- 14 星に惹かれた男たち 鳴海風∥著 日本評論社 2014.12 G-4402-ナ
- 15 日本天文暦学史料のグローバルな調査と総合目録の作成 中村士∥研究代表 [中村士] 2003年 4B-4402-ナ
- 16 近世日本天文学史 上 通史 渡辺敏夫∥著 恒星社厚生閣 1986年 2-4402-ワ
- 17 近世日本天文学史 下 観測技術史 渡辺敏夫∥著 恒星社厚生閣 1987年 2-4402-ワ
- 18 幕末の洋学 中山茂∥編 ミネルヴァ書房 1984年 2-4021-ナ
- 19 日本洋学史の研究 3 有坂 隆道∥編 創元社 1974年 2-4021-3
- 20 洋学関係研究文献要覧 日蘭学会∥編集 日外アソシエーツ 1984年 2-4021-ニ
- 21 日本の天文学 中山茂∥著 岩波書店 1977年 3-4402-IS
- 22 日蘭文化交渉史の研究 板沢武雄∥著 吉川弘文館 1986年 2-2101-イ
- 23 蘭学資料研究 [復刻版] 第25巻 龍溪書舎 P
- 24 蘭学資料研究 [復刻版] 第4巻 龍溪書舎 P
- 25 蘭学資料研究 [復刻版] 第18巻 龍溪書舎 P
- 26 日本歴史 第14巻 吉川弘文館 P 「天動説から地動説へ」杉本勲
- 27 三上義夫著作集 第3巻 日本測量術史・日本科学史 三上義夫∥著 佐々木力∥総編集 日本評論社 2017.12 3-4108-ミ
- 28 洋学 4(1995) 洋学史学会∥編 八坂書房 1996年 2-4021-4
- キーワード
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- 田島柳卿
- 望遠鏡
- 地球儀
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000261928