レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 19990618
- 登録日時
- 2005/02/02 02:14
- 更新日時
- 2005/11/11 11:58
- 管理番号
- A1999F2484
- 質問
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解決
鎌倉末期の相模国鎌倉の刀工・正宗の作る刀を「正宗」と呼び、その刀は宝刀として珍重されていた。しかし、明治29年7月30日から8月1日にかけて、今村長賀(いまむら・ちょうが。明治時代の刀剣鑑定家)が読売新聞紙上で正宗論を展開した。この論争に対し、読売新聞以外に掲載された正宗論を知りたい。
- 回答
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(1)『日本刀大百科事典』 福永酔剣著 雄山閣出版 1993.11 5冊 <KB2-E14>
(2)「名刀正宗の復活に就て」(『刀剣鑑定秘話』 本阿弥光遜 金竜堂 昭和17 p.63-86 <756.6-H84-2ゥ>)
(3)「正宗抹殺論」(『日本刀名工伝』 福永酔剣 雄山閣出版 1998.8 p.41-53 <KB335-G8>)
(4)岩崎航介:「五郎正宗は果たして名工であるか」(『歴史公論』 2巻10号 昭和8.10 p.183-198 <YA5-1010>)
(5)「正宗有か無か 刀界紛争の顛末」(『刀剣会誌』 第243号 大正9.12 p.1-31 <雑32-51>)
問い合わせの「正宗論」は、(1)の5巻92pに「正宗抹殺論」という項目があり、「それから読売新聞をはじめ、日本新聞・自由新聞・万朝報などに、三か月にわたり、谷干城・犬養毅・本阿弥忠敬・本阿弥光賀ら、約二十名がこもごも賛否両論を闘わした。」という記述あり。(但し、この時期の新聞には記事索引がなく、これらの新聞の明治29年8月-10月分の本文調査はレファレンスの範囲を越える)
正宗をめぐるこの論争の経緯について述べている資料として(2)、(3)があり、これらの資料に、「正宗論」の論争に一応の決着をつけた資料として、(4)が挙げられている。(4)の資料の185pに「・・・是等の議論は多く「読売」及び「日本」紙上に掲載されたが、『刀剣会誌』の第二百四十三号に全部纏めてあるから、之を参照せられ度い。」とあった。
『刀剣会誌』第243号を確認したところ、(5)の論文があり、その中に、この論争の代表的な見解が抄録されている。なお、これらの見解について、誰の見解かは記載があったが、掲載紙並びに掲載日付についての記述はなかった。
< >内は当館請求記号
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 金工芸 (756 9版)
- 参考資料
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- 日本刀大百科事典 福永酔剣著 雄山閣出版 1993.11 5冊 <KB2-E14>
- 刀剣鑑定秘話 本阿弥光遜 金竜堂 昭和17 <756.6-H84-2ゥ> (名刀正宗の復活に就て p.63-86)
- 日本刀名工伝 福永酔剣 雄山閣出版 1998.8 <KB335-G8> (正宗抹殺論 p.41-53)
- 歴史公論 2巻10号 昭和8.10 <YA5-1010> (岩崎航介:五郎正宗は果たして名工であるか p.183-198)
- 刀剣会誌 第243号 大正9.12 <雑32-51> (正宗有か無か 刀界紛争の顛末 p.1-31)
- キーワード
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- 正宗
- 刀剣
- 刀工
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 公共図書館
- 登録番号
- 1000014157