レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007年12月19日
- 登録日時
- 2008/02/27 14:29
- 更新日時
- 2014/08/28 10:59
- 提供館
- 岐阜県図書館 (2110001)
- 管理番号
- 岐県図-0919
- 質問
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解決
大垣出身の維新志士・所郁太郎について。青山松任『所郁太郎伝』によると、明治になってから所郁太郎ことを尋ねる新聞広告が出されたとあるが、その広告がみたい。
- 回答
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岐阜新聞 明治24年6月7日、6月30日、7月1日、7月2日に広告が掲載されている。
- 回答プロセス
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1 青山松任『所郁太郎伝』(新人物往来社,1991 郷土:289/ト)の「附記」によると、大垣の金森吉次郎が、梁川星巌の贈位奉告祭の折に品川弥次郎と交わした書簡が所郁太郎顕彰の発端になったとある(p.409)。また金森が品川に対して濃尾震災(明治24年11月)の救済陳情に赴いた際に、所郁太郎の事績が話題になったとあるため(p.411)、広告が出たのはこの頃と推測。
2 梁川星巌関係の資料を調査。『星巌翁の葬式・墓碑に憶う』(石田鎌一,1969 郷土書庫:289/ヤ)によると、星巌の贈位奉告祭があったのは明治24年4月8日(p.7)。
3 明治24年4月~11月の岐阜新聞マイクロフィルムを調査。6月7日、6月30日、7月1日、7月2日に広告が掲載されていた。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 所郁太郎(ところ いくたろう)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 所郁太郎(1838-1865):大垣出身の維新志士・蘭医。緒方洪庵に学び、長州藩の藩医となる。井上聞多(馨)が刺客に遭って瀕死の重傷を負った際、治療にあたった事績が有名。
- 調査種別
- 書誌的事項調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000042108