レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年08月26日
- 登録日時
- 2018/11/17 16:46
- 更新日時
- 2019/06/23 09:17
- 管理番号
- 0-1-20160805-1
- 質問
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解決
織田信長の子について知りたい。
①オツ殿(男子)と、②徳姫(女子)について。
埴原加賀守常安という者に預けられたことがあるらしい。
さらに③オツ殿の母と、④徳姫の娘について分かる資料があれば見たい。
- 回答
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①乙殿(オツ殿・オト殿)は、信長とその侍女である「中条」との間に生まれた子であるとされる。
③中条は後に埴原加賀守常安の妻となり、乙殿は常安の猶子として育てられた。
以下の資料を紹介。
『信長の子』.『歴史読本』編集部/編.新人物往来社,2012,B288.3/ノフ
p213~214 「謎の隠し子乙(おと)殿」の項
『角川日本姓氏歴史人物大辞典 23』.角川書店,1991,A280/23
p.832 「埴原」の項に常安の妻の記載あり。「信長の侍女であった美濃の岩井丹波守の娘を妻とし…」とある。
『「武功夜話」のすべて』.滝 喜義/著.新人物往来社,1992,A204/19
p.64~ 「信長の隠し子を育てた埴原加賀守常安」の章
②徳姫は織田信長の長女で母は生駒氏。徳川信康の妻となった人物である。
④娘は2人。名は長女が福子、次女が国子。
以下の資料を紹介。
『信長の子』.『歴史読本』編集部/編.新人物往来社,2012,B288.3/ノフ
p124~139 「徳姫 徳川信康室」の項
p129 「天正4年同5年と続けて子供をもうけている……生んだ子供がともに女子」。さらに、
p137 「天正17年8月、徳姫の長女福が松本城主小笠原秀政に嫁いだ」
「翌々19年には次女久仁が、本田忠勝の摘男忠政へ嫁いだ」とある。
また、岡崎市立中央図書館のレファレンス事例
「徳川信康の室、徳姫についての資料はないか。特に離縁後、京都などで過ごした晩年のことがわかるとよい。」
( https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000102167)を参考に以下の資料を紹介。
『古文書研究 第13号』.日本古文書学会/編集.日本古文書学会,1979,202/52/13
p62~72 「岡崎殿-徳川信康室織田氏-」の章
五徳(童名「おごとく」)について。徳川竹千代(のちの信康)に嫁入り、岡崎殿と敬称されていた。
『新編岡崎市史 2』.新編岡崎市史編集委員会/編.新編岡崎市史編さん委員会,1989,A233/29/2
p.937~ 徳姫と信康の仲について
p.952~p.953 娘の名前あり。
- 回答プロセス
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以下、提供した資料以外に確認を行ったもの。
『消された後継者』.典厩 五郎/著.世界文化社,1994,289.1/テ
記載なし
『姓氏家系大辞典 第2巻』.太田 亮/編.角川書店,1963,R288/セ/2
p.3932 ④小笠原秀政室、本田忠政室とあり
『織田信長家臣人名辞典』.谷口 克広/著.吉川弘文館,1995,281/タ
p.302 埴原常安の項
『信長年代記』.増原 驍/著.叢文社,2012,289.1/マス
記載なし
『織田信長総合事典』.岡田 正人/編.雄山閣出版,1999,289.1/オ
p.171~172 ②④信長息女(松平信康室)の項
『日本女性人名辞典』.芳賀 登/監修.日本図書センター,1993,281/ニ
p.737 ②徳姫の項
『江南市史 資料4』.江南市史編纂委員会/編.江南市,1983,A271/35/4
p.83 埴原常安について
『「信長伝説」の真実』.武田 鏡村/著.講談社,1995,289.1/タ
p.80 ①乙殿 ②五徳 ③中条の名は出てくるが詳しい記載は無し。
- 事前調査事項
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『徳川・松平一族の事典』.工藤 寛正/編.東京堂出版,2009,R288.3/クト
質問者が事前に閲覧済み。
- NDC
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- 系譜.家史.皇室 (288 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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レファレンス協同データベース 岡崎市立中央図書館 レファレンス事例
「徳川信康の室、徳姫についての資料はないか。特に離縁後、京都などで過ごした晩年のことがわかるとよい。」
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000102167(参照 2018.11.17)
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レファレンス協同データベース 岡崎市立中央図書館 レファレンス事例
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000246002