レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/08/14
- 登録日時
- 2014/02/27 00:30
- 更新日時
- 2014/03/29 11:36
- 管理番号
- 横浜市中央2362
- 質問
-
解決
鳥類学者「トーマス・ブラキストン」の友人で、調査を一緒に行っていた
「プライヤー」という人物が明治期の横浜にいたらしいが、どういう人物か知りたい。
- 回答
-
「プライヤー」という人物が横浜にいたことを示す資料を紹介します。
*文中では、基本的に「プライヤー」という名前を使用しますが、
資料に「プライア―」と記載されている場合には、「プライア―」を使用します。
1 「トーマス・ブラキストン」と「プレイヤー」について
(1)「北大植物園所蔵ブラキストン標本の受入過程とその現状」 加藤 克 市川 秀雄
(「北大植物園研究紀要 2」 北海道大学 2002-03-29 p1-24)
http://ci.nii.ac.jp/els/110004688043.pdf?id=ART0007423432&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1376119542&cp=
*この論文が掲載されている雑誌は、横浜市立図書館では所蔵していませんが、
インターネット上で閲覧することができます。
この論文に「(中略)プライヤー(H.Pryer)、スノー(H.J.Snow)らと協力して
日本産鳥類を採集し、それにまつわる目録や論文を発表し(中略)」とあるので、
この「プライヤー(H.Pryer)」という人物がお探しの人物と思われます。
「Catalogue of the birds of Japan(by T. Blakiston and H. Pryer )」を
「トーマス・ブラキストン」と「プレイヤー」の共著で出版しています。
この本は、国立国会図書館で所蔵しています。
(2)「お雇い外国人 3」 鹿島研究所出版会 1968
「友人プライヤー」として、少し記述があります。
p75に、フルネーム(Henry James Stovin Pryer)、生没年(1850年~1888年)、
略歴が書いてあります。
ロンドン生まれで、1871年来日。16年間横浜のアダムソン・ベル・海上保険会社
社員として勤め、1888年2月17日に横浜で病死。
(3)「あるドイツ人博物学者が見た1882年の「博物館」
ー新発見のクバリ―氏意見書からー」
(名古屋大学博物館報告 no.20 1-13 名古屋大学博物館 2004)
http://www.num.nagoya-u.ac.jp/outline/document/No20.pdf
*この論文が掲載されている雑誌は、横浜市立図書館では所蔵していませんが、
インターネット上で読むことができます。
p7に、プライアーについての記載があります。
ア 「『太政大臣に届けて正式に雇用された例』としてイギリス人プライア―と
アメリカ人モースがよく知られている」
この部分の参考図書として挙げられているのが、「明治博物館事始め
(椎名仙卓/著 思文閣出版 1989)」で、p161~164に記述があります。
イ 「もっとも、彼らを雇用したのは、内務省系ではなく、文科省系の
『東京博物館』とその後継の『教育博物館』であるが、蝶類の専門家である
プライア―は1876年から翌年にかけて標本採集を目的として雇用され、
国内最終旅行を行っている。
ユネスコ東アジア文化センター(1975)によれば彼は、1876年7月から3ヶ月
(月給75円)、そして翌1877年当初から1年間
(月給60円、ただし5月で依願解約)の契約を結んでいる。」
この部分の参考図書として挙げられているのが、「資料御雇外国人
(ユネスコ東アジア文化研究センター/編 小学館 1975)」で、
p379にプライヤーの雇用期間や給料が掲載されています。
原典にあたる場合は、p203出典資料名が記載されているので参照ください。
2 プライヤー(H.Pryer)について
(1)「自然科学のとびら」Vol.1, No.2
神奈川県立生命の星・地球博物館 1995年9月
http://nh.kanagawa-museum.jp/research/tobira/archives/1-2/1-2.html#BM2
「神奈川県にゆかりの深いチョウ類とその関連資料
(猪又敏男(日本鱗翅学会理事))」の記事に、プライヤーについての記述があります。
「イギリス人のプライヤー(H. Pryer)は1871年(明治4年)またはその翌年に
来日し、横浜に落ち着きました。幼少の頃より博物学に興味をもっていた彼は、
昆虫類を中心に各地の資料を集め、特に日本のチョウ類のすぐれたコレクションを
作りました。彼はよほど日本が気に入ったのか、何と16年間も横浜に居住し、
39才の若さで死去するまで日本各地を精力的に調査したのです。
このようにして集めた資料を基に、日本では例を見ない学術的な図説の刊行が
企画されました。おそらくはプライヤーの日本生活が落ち着いた1875年以降のこと
だったと思われます。当時の諸外国で出版されたいくつかの図鑑に匹敵するものを
日本で作るには、多くの障害がありました。画家の発掘、印刷所や用紙の選定そして
費用の調達などです。しかし、プライヤーの熱意はこれらの難題を乗り越えて、
1887年に第一分冊の発行にこぎつけました。そして、1888年には第二分冊、
1889年には第三分冊が相次いで発行され、ついに大作が完了しました。
タイトル名は Rhopalocera Nihonica といいます。」
(2)「市民グラフヨコハマ No.33」 横浜市市民局市民活動部広報課広報センター/編
横浜市市民局市民活動部広報課広報センター 1979
この号には、外国人墓地の埋葬者リストが掲載されており、
p27に名前の記載があり、8区に埋葬されていることがわかります。
「横濱外国人墓地(http://www.yfgc-japan.com/index.html)」の
Webサイトにも、外国人墓地の地図が掲載されています。
一般公開はしておらず、「外国人墓地募金公開」を行っているようです。
(3)「横浜外国人墓地に眠る人々 開港から関東大震災まで」
斎藤多喜夫/著 有隣堂 2012」
p246~248に、プライヤ―に関する記述があります。
墓碑の写真もあります。他の本よりも詳細な記述と、参考文献があります。
(4)「日本古書通信 51巻1号~12号」 日本古書通信社 1986
「日本古書通信 第51巻 第9号 通巻686号(日本古書通信社
昭和61年9月15日発行)」に、
「横浜山手に眠る紅毛愛蝶家たち ヘンリー・プライア―をめぐって(竹内博)」
という記事があります。
この記事を書いた著者の本「横浜外人墓地 山手の丘に眠る人々 ガイドブック
(武内博/著 山桃舎 1985)」の p93にも記述があります。
(5)「江崎悌三著作集 第1巻~第3巻 思索社 1984」
第1巻のp251~262まで、プライヤーについての記述があります。
「また彼には日本人の内妻があったが、子供はなかった。」など、
他の資料には無い記述があります。
第2巻のp103~、「虫愛ずる異人さん」という記事で、
プライヤーについて書かれています。
第3巻の巻末の人名索引(19)にプライヤーの項があります。
プライヤーが出てくるページが書いてありますので、ご覧ください。
(6)「日本博物学史」 上野益三/著 平凡社 1973
巻末の索引p24に、プライア―についての項があります。
プライヤーが出てくるページが書いてありますので、ご覧ください。
この本では、日本の博物誌学におけるプライア―の足跡がわかります。
(7)「明治初期の在留外人人名録 Japan Directory of the
明治初期歴史文献資料集」 寺岡寿一/編 寺岡書洞 1978
p84の「72」の所に「ADAMSON, BELL & Co.」
(Agents for Globe marine Insuarance Company, (Limited))
という会社名とともに、プライヤ―の名前が記載されています。
p175の右側、下から12番目にプライヤーの名前があり「223A」
の記述があります。
これは、それぞれ居留地の「72」番に会社があり、
「223」に住んでいたことを示しています。
それぞれの地番がどこかを確認するには、次の資料をご確認ください。
ア 「市民グラフヨコハマ No.27」 横浜市市民局市民活動部広報課広報センター/編
横浜市市民局市民活動部広報課広報センター 1979
p10に、地番入の地図が掲載されています。
イ 「改正横浜分見地図 全」(古地図資料出版)
明治10年に作成された地番入の地図です。
山手町の地番は、昔も今も同じです。
そのため、「ブルーマップ 横浜市中区 201212
住居表示地番対照住宅地図(ゼンリン 2012)」で、
該当地域の地番を探すと、現在の地図上での位置がわかります。
(8)「来日西洋人名事典 武内博/編著 日外アソシエーツ 1995」
p368~369に、プライアーに関する記述と、参考文献が掲載されています。
調査のための本なので、記述は詳しくありません。
3 参考資料
横浜市立図書館では所蔵がありませんが、参考として資料を紹介します。
(1)「日本蝶類図譜(ヘンリ-・ジェ-ムズ・ストヴィン・プライヤ-著
科学書院 1982)」
プライヤーの著作「Rhopalocera Nihonica」の日本語版です。
(2)「Henry Pryer の足跡とその功績 : 来日した欧米民間人による日本博物学への貢献」
梁井 貴史 「千葉短大紀要 (24)」 千葉商科大学 1997-12-20 P29-45
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 伝記 (280 8版)
- 論文集.評論集.講演集 (404 8版)
- 生物科学.一般生物学 (460 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000149899