レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年11月21日
- 登録日時
- 2016/02/03 17:29
- 更新日時
- 2016/02/29 14:09
- 管理番号
- 岩手-257
- 質問
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解決
北上市出身(黒沢尻)の相撲行司「八代目式守伊之助」について、記載のある資料はあるか。
- 回答
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八代目式守伊之助(本名:後藤文次郎)は安政から明治にかけて活躍した行司。
下記資料に、記述がある。
『角川日本姓氏歴史人物大辞典 3』
⇒p167「後藤文次郎」
『北上市史 第12巻』
⇒口絵「八代目式守伊之助碑」
『江戸相撲をたずねて 北上市とその附近』
⇒「行司と呼び出し」八代目 式守伊之助 北上市黒沢尻町出身
《後藤文次郎は、行司に興味を覚え、五才のとき、伊勢ノ海部屋に入り、それから六代目式守伊之助の弟子になりました。安政4年正月に式守錦太夫を名乗り、初代の錦太夫となったのです。明治元年11月には幕内格。同4年3月には三代目の与太夫となり、三段格に進み、明治の戸籍登録のときは、本名を与太夫と届けています。同17年5月には立行司として伊之助を襲名し、八代目となりました。熨斗目(のしめ)麻上下を着用し、草履をはき、烏帽子、素袍(すおう)、紫紐の軍扇を許された人は十五代木村庄之助についでこの人でありました。引退後は年寄りとなり、三代目永浜鬼一郎となりました。》
『復刻 相撲講本』
⇒p604~606「式守伊之助」
《兎に角、八代目式守伊之助が、十五代木村庄之助に次いで紫分の団扇を授かって居る。》
⇒p609~618「南部の永瀬氏」
⇒p618~628「南部相撲は岩井流なり」
《吉田家の十五代目が、家宰尺子茂太夫に奉ぜられて、細川家に仕官したのは萬治元年からである。岩井氏の家宰生方次郎兵衛が南部家に據りしは萬治二年である。其関係が頗る類似していると同様に、家格も殆んど比肩すべき様である。さればこそ、八代目式守伊之助が南部永瀬家に贄を執って居るのである。八代目伊之助は南部の黒沢尻在の出生なるが故に此特典を授けられたのである。》
⇒p653~658「行司の格式について」
⇒p658~669「行司の持用器について」
『大相撲人物大事典』
⇒p692「式守伊之助代々」
⇒p694「8代 式守伊之助」
⇒p696「式守伊之助 代々の歴史」
⇒p697「式守錦太夫代々」初代備考欄にのちの8代伊之助とあり。
⇒p698「式守与太夫代々」3代備考欄にのちの8代伊之助とあり。
『相撲大事典』
⇒p418~419「立行司式守伊之助代々」
⇒p420~421「歴代式守伊之助略伝」
- 回答プロセス
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・人名辞典で人物を確認。
・出身地の郷土史資料を調査。
・相撲関係資料 780~ をブラウジング。
- 事前調査事項
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『大相撲行司の世界』『和賀郡誌』
- NDC
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- 東北地方 (212 9版)
- 日本 (281 9版)
- 相撲.拳闘.競馬 (788 9版)
- 参考資料
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- 『角川日本姓氏歴史人物大辞典 3』岩手県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会∥編著 角川書店∥出版 1998年 , ISBN 4040020308 (http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002754996-00)
- 『北上市史 第12巻』北上市∥編集 北上市史刊行会∥出版 1986年 (http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I036572534-00)
- 『江戸相撲をたずねて 北上市とその附近』北上市観光協会∥編集・出版 1961年 (http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I036293976-00)
- 『相撲講本』花坂 吉兵衛・桝岡 智∥共著 誠信出版∥出版 1978年 (http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I036144177-00)
- 『大相撲人物大事典』「相撲」編集部∥編 ベースボール・マガジン社∥出版 2001年 , ISBN 458303640X (http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002983859-00)
- 『相撲大事典 第4版』金指 基∥原著 日本相撲協会∥監修 現代書館∥出版 2015年 , ISBN 9784768470541 (http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I026011957-00)
- キーワード
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- 式守伊之助
- 8代目
- 行司
- 相撲
- 北上市
- 黒沢尻
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000187819