レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2001/10/04
- 登録日時
- 2006/08/09 02:11
- 更新日時
- 2010/02/12 17:11
- 管理番号
- 埼久-2001-089
- 質問
-
未解決
徳富蘆花の著作を刊行していた明治・大正期の出版社について調べている。①「新橋堂」(社長:服部国太郎)と「大江書房」(社長:野村鈴助)の出版物および廃業年。②福永書店社長、福永一良の名前の読み。父は警醒社社長、福永文之助。
- 回答
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①出版物については、《ゆにかねっと》《NACSIS Webcat》の検索結果を見てもらう。
刊行物の最終年を見ると〈新橋堂〉は1928(昭和3)年、〈大江書房〉は1924(大正13)年となっている。
また、『出版年鑑』(東京堂)を見ると、〈新橋堂〉は昭和16年まで発行所一覧にあるが、昭和17年にはなし。〈大江書房〉は昭和5-16年に掲載なし。
②〈福永一良〉または〈福永一郎〉の記述は見られるが、読み仮名なし。一般的な読み方を紹介する。
- 回答プロセス
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①「新橋堂」と「大江書房」の出版物および廃業年
『出版興亡五十年』(復刻版)『日本の書店百年』『日本出版百年史年表』に該当なし。
網羅的とは言えないが、出版物については《ゆにかねっと》《NACSIS Webcat》の検索結果を見てもらう。
刊行物の最終年を見ると〈新橋堂〉は1928(昭和3)年、〈大江書房〉は1924(大正13)年。少なくともこの年までは営業していたと思われる。
また、『出版年鑑』(東京堂)を見ると、〈新橋堂〉は昭和16年まで発行所一覧にあるが、昭和17年にはなし。〈大江書房〉は昭和5-16年に掲載なし。
②福永書店社長、福永一良の名前の読み
『出版文化人名辞典』『大正人名辞典』『明治人名辞典』に記述なし。
『大衆人事録』〈福永文之助〉の項に「長男福永一郎(ママ)」との記述が見られるが、読みはなし。
『出版人物事典』 年表の1918年4月1日に「福永書店(福永一良)」との記述があるが、やはり読みはない。
『人名よみかた辞典 名の部』〈一良〉の読み方として、「いちら、いちりょう、いちろう、かずよし」とあり、参考までに上記資料とともに紹介する。
- 事前調査事項
- NDC
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- 出版 (023 9版)
- 参考資料
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- 『出版年鑑』
- 『人名よみかた辞典 名の部』(日外アソシエーツ株式会社 日外アソシエーツ 1994)
- キーワード
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- 出版-出版社-日本
- 福永 一良
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000029948