①曾我蕭白が影響を受けた画家について、画風の類似点から述べている資料・文献について
『奇想の系譜:又兵衛-国芳』(辻惟雄/著 ペリカン社 1988.6)85頁に高田敬輔との関係に簡単に触れたあと、「蕭白の画風形成に、より直接的な影響を与えたと思われるのは、曽我派である」とあります。桃山時代、曽我派に直庵という人物が出ましたが、彼の画風が「濃い墨を用い、荒あらしい筆づかいで、樹木や岩をデフォルメさせて描く、奇矯でアクの強い作風に特色がある」といい、蕭白が江戸期に忘れられていた曽我派の手法を発掘し、「自己の画風に積極的にとり入れている」ということです。辻氏は「『群仙図屏風』の画中の、タコの終盤のようなうろをつけた樹木や、鉈で大木を縦割った跡のような岩の描法を見れば明らか」であると述べています(86頁)。
辻氏は直庵との関係について『水墨美術大系14 若冲・蕭白・蘆雪』(講談社 1979)の56頁でも述べています。
なお、狩野博之氏は曽我派の画風が蕭白の一部にすぎず、「時節外れ」で、「誰も見向きもしなかった」「アナクロニズム」な「曽我派の名をもちだすことが、そのまま同時代の絵描きたち、それに彼らの支持者に対するアンチテーゼになっている」と述べています(26頁)(『無頼の画家曽我蕭白』(狩野博之・横尾忠則/著 新潮社 2009.1))。
また、『新編名宝日本の美術 27 若冲・蕭白(小学館ギャラリー)』(小学館 1991.12)に収められている佐藤康宏「蕭白新論」の111頁に同時代の臨済宗の禅僧、白隠慧鶴(1685-1768)の絵画の影響を受けながら、その稚拙な画法にはこだわらなかったとあります。
②蕭白と高田敬甫の関連について言及している資料・文献について
先述した「蕭白新論」の106頁に『扶桑名画伝』という1850年代に成立した本に、『増補近世逸人画史』(現存していない)から引用した「高田敬甫ノ門人」という文章が記されているとあります。佐藤氏によると高田敬輔師事説は文献的証拠はない、としていますが氏自身は滋賀県日野の信楽寺に伝わる「唐人物図襖」を「敬輔に師事していた時期の蕭白の初期作品と考える」(107頁)と述べています。
また同頁に1978年に滋賀県立琵琶湖文化館で「高田敬輔と曾我蕭白展」が開催されたことが紹介されています。この展覧会の図録が刊行されたかどうかはわかりません。当館はこの展覧会の図録を所蔵していません。滋賀県立図書館もお持ちではないようです。
なお、滋賀県立琵琶湖文化館は2008年の春に休館しましたが、2010年9月9日現在、ホームページは開設されています。
http://www2.ocn.ne.jp/~biwa-bun/aisatu.html 『曾我蕭白:荒ぶる京の絵師』(狩野博之/著 臨川書店 2007.1)は2005年春の京都国立博物館の特別展覧会「曾我蕭白-無頼という愉悦-」展に際して開催された土曜講座の狩野氏の講演内容を本にしたものです。絵画の解説を中心に話を展開されています。その20頁に高田敬輔師事説に触れ、狩野氏は「断定できない」と言ってます。また、199-200頁の年譜にもその旨記載されています。
また、狩野氏は『日本の美術 No.258』(至文堂 1987.11)の24頁から「蕭白の画系」で①も含めて比較的まとまったかたちで蕭白の画の系統について述べておられます。なお、事前調査されている京都国立博物館の図録も狩野氏が書かれていますので、多くの部分で記述は重なっています。
少し古い資料ですが、『日本美術絵画全集23 若冲・蕭白』(座右宝刊行会 1977.10)の109頁からマニー・ヒックマン氏による「曾我蕭白」と題する文章があり、114頁から「蕭白と高田敬輔」という項が設けられています。
③中村竹洞が評する「いやし」の意味について
当館では「文献の解読・翻訳・抜すいの作成」についてはレファレンスで回答できる範囲外になっています。よってどのような意味に解するかはご本人で判断していただくほかありません。
当館の所蔵する「古語辞典」の「いやし」の項を下に記しましたので、ご参照ください。
「いや・し」(卑し 賤し)形容詞
①ひどく汚く貧しい。みすぼらしい。②ひどく身分が低い。③とるに足らない。④下品である。⑤心が汚い。さもしい。⑥けがれている。
以上、『岩波 古語辞典 増補版』(大野晋/[ほか]編 岩波書店 1994.2)140頁より。
「いや・し」(卑・賤)形容詞
①地位身分の低いさま。②特にみずからの身分や自分に関係する事柄を卑下していうのに用いる。③身分の低い者の属性として考えられるさま。みすぼらしい、むさくるしい、などの美的価値も含めていう。④人の性状・挙措・風采などの洗練されていず、優雅でないさま。また、場所や事物が上品でなく田舎くさいさま。⑤品性の卑劣、下品なさま。特に物質に関心を持って、欲が深く、吝嗇である性質をいう。⑥成金趣味で下品に見えるさま。食うことに関心の強いさま。
以上、『角川古語大辞典 第1巻』(中村幸彦/[ほか]編 角川書店 1982.6)336頁より
竹洞の4人の画家を評した文章から推察して「下品である」や「優雅でないさま」と解しても、それほど矛盾はないと思われます。
ちなみに、前述の『日本の美術』の17頁には、竹洞は『画道金剛杵』(『竹洞画論』の前年に成立)で蕭白を評して「品格絶野」と言っており、「要するに蕭白画では『品格』など薬にする程も見当たらぬ」と書かれています。そして「『品格絶野』といい、『画体いやし』というも、言葉こそ違え、その意味するところは同一であって(中略)、蕭白の絵画は『悪趣味の権化』以外の何ものでもない」とあります。
その他、『芸術新潮 2005年4月号』(新潮社)では、京都国立博物館での特別展示会に合わせて「水墨サイケデリック 蕭白がゆく」を特集しています(この号は当館所蔵)。
また、桃沢如水「曾我蕭白」『日本美術』85-88号(明治39年)(『三重県史談会々誌』に再録)は、その後の研究成果で新たな事実の発見もありますが、上記の多くの文献で参照されている基本的な資料のようです。なお、『日本美術』85-88号は府立中之島図書館が所蔵しています。古い雑誌です。内容については直接中之島図書館にお尋ねください。