レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2002/10/31
- 登録日時
- 2010/10/28 02:02
- 更新日時
- 2010/11/25 02:02
- 管理番号
- 新県図-01108
- 質問
-
解決
下記の人物の酒の肴、好物は何であったかを知りたい。
1.会津八一
2.堀部安兵衛
3.宮柊ニ
4.鈴木牧之
5.坂口安吾
6.河井継之助
7.小林虎三郎
8.徳川家康
9.伊藤博文
10.坂本竜馬
- 回答
-
1.会津八一 モチ菓子、キンツバなど。
(1)『うまいもの No.34』うまいもの社 1959
p20~21「父と古町」(会津蘭子)
「甘いものでもモチ菓子なんかが好きで、何でもたべる人だった。」
「寒い時は「豆八」のキンツバが多かった。」
「三日月」へお汁粉をたべに行くこともあった。」
(2)『野の人会津八一』工藤美代子著 新潮社 2000(N911.1/A26)
p58「今年は未だ当地の梨子は喰ひ申さず候へ共、味も頗る美味なるもの多しとの事にて候。」
(3)『会津八一短歌とその生涯』植田重雄著 文芸春秋 1969(N289/A26)
p316~322「最晩年の生活点描」
「たいこ焼きを買って懐中に入れ、ときどき出して食べるので、蘭子ははずかしかった。」
(4)『食の文学館』第6号 エーシーシー 1989
特集:越後路文学と味覚の旅
p32~35「会津八一の詩境、酒境」(植田重雄)
「鮎鮨を食べた歌がある。…道人は若い頃から腎臓病、糖尿病に悩まされていいたから、塩辛いのは苦手であった。」
「会津八一がどんな食べものを好んだか。これは一律に決められない。」
「秋艸堂に集る若い学生と蕎麦を食べた歌がある。…平凡なざるそばであって…」
「朱塗りの膳にはお銚子がつき、季節のものが少々並んでいるに過ぎない。」
「越後風の雑煮などを作るとひどく喜んだ。鮭(アラマキ)、餅に鶏肉、ゴボウ、青菜、人参、大根、昆布、それにおすましにカツオブシをかけるといったものである。」
p38~40「秋艸道人とたべもの」(長島健)
「「浜納豆」の味を知った。…きい子さんがあるとき、「先生は豆類がお好きなんですよ」といわれたのが耳に残る。」
「屋台の焼鳥屋ののれんをわけて立ち寄ったことがあった。」
「腹が空けばおでんを食ったり、そばを食べて…」
「たべものがよみ込まれている歌は、八八六首中…十数首である。…日常の関心事のうち、たべものの占める部分が少なかった、といえるのではないか。」
2.堀部安兵衛 判明しません。小説では、そば切りを好物としたものもあります。
(1)『堀部安兵衛武庸』武庸会 1972(N289/H87)
p6「元禄七 甲戌年 2354(1694) 25歳 4月27日 知人の中根大夫の紹介により初めて堀部弥兵衛金丸(アキザネ)と会し出来合料理の饗に接す。」
(2)『堀部安兵衛 後篇』池波正太郎著 立風書房 1976(N930/I37/2)
p140「肴も吟味されたものばかりで、ことに安兵衛の好きな[そば切り]が出たのにはおどろいた。」
3.宮柊二 鮭、茄子、粽など。
(1)『ふるさとを愛した歌人宮柊ニ』磯部定治著 新潟日報事業社 2001(N911.1/Mi71)
p24~25「柊ニは『机のチリ』の中に書いている。…私の町を町沿いに魚野川という水の澄んだ美しい川が流れ下っている。(中略)。この簗で取れた鮎をすぐ塩で焼き、背骨を肉から抜きとってコップに入れ、それに酒を注ぎみたす。…鮎酒の味というものは、常識的な言い方だが天下一品である。」
p114~115「あけびの芽」昭和三十八年八月『うまいもの』 …野菜の方は何でも好きだ。「茄子食い」というのは、母がつけたわたしのあだ名だが(略)…とにかく毎日毎食むさぼり食う。…胡瓜、白菜なども好きだ。」
p116~117「笹だんごと粽『味の旅』第六巻、新潟・佐渡 …最後の一口がたまらなくうまい。最後の一口に粽の喜びがあるといってもいいほどだった。」
(2)『越佐文学散歩』中巻 野島出版 1975(910.2/E74/2)
p260~261「やな場」
「鮎酒の味というものは常識的な言い方だが天下一品である。(ふるさとと酒)」
(3)『宮柊二集』7 宮柊二著 岩波書店 1990(918.6/Mi71/7)
p107~109「あけびの芽」
「あけび蔓をながめながら、一人でビールをくむこともある。ビールの肴には、季節の野菜がないので、いま「越後あられ」というのを使っている。…[昭和33年7月5日「うまいもの」28号]」
(4)『宮柊二集』8 宮柊二著 岩波書店 1990(918.6/Mi71/8)
p154~158「鮭の小包に香る友情の味」
「鮭はもちろんそのまま焼いても煮ても食べられ、ことに一の切れ、二の切れという部分を焼いて大根おろしと醤油味で食べるのが一番おいしい。」
p240~241「雪おこしと糖尿病」
「炬燵で渋抜きした熟柿を食べるのが、冬の湯あがりの楽しみの一つであった。…[昭和47年2月1日「自由」14号2号]」
p287~299「そばの花の畑」
「(省略)[昭和48年4月10日「新そば」37号]」
(5)『うまいもの』No.28(1958.7)
p6~7「あけびの芽」(宮柊二)(省略)
(6)『うまいもの No.38』 1959
p10~11「桐の花の頃」(宮柊二)
「この桐の花が咲き出す頃はまた、私の好きな木の芽やウドなどがうまい時期に入りかける。」
「川魚や海魚にしても脂肪を持った時とはまた違った淡白な味を持ってあらわれます。」
「長岡の友達のところでたべたアスパラなどは、忘れがたい。」
(7)『雪の里』宮柊二著 求龍社 1977(N940/Mi71)
p17~20「あけびの芽」
p55~57「野のもの山のもの」
「山菜のアケビ、マタタビ、ワラビ、ウド、セリ、フキ、シズ、何でも私は好きだ。東京の酒亭には、そうした山菜をさかなに酒を飲ませるところがあり、季節に入ると、私はそうした酒亭をさがすのである。」
「野ビルとアサツキが、実にうまかった。」
p58~61「笹だんごと粽」
p63~68「鮭の小包み」
「きまって鮭の小包みが送られてくる。」
p83~85「民宿で食べた煮餅のうまさ」
「朝食は七草雑炊のような、野菜とともに柔らかく煮た餅で、何とも旨くて・・・」
(8)『机のチリ』宮柊二著 東京美術 1970(914.6/Mi71)
p86~89「ふるさとと酒」
「水の美しいこの川の鮎は美味い。」
p93~94「越後ちまき」
「粽が、母の得意だった。」
(9)『食の文学館』第6号
p「「孤独」を食らう-相馬御風と宮柊二-」(紅野敏郎)
「柊二もまた「食」を楽しむゆとりなどなかった青春期を過ごしている。」
4.鈴木牧之 判明しません。酒は嗜まず食事は質素であったことが自伝「夜職草」などからわかりますが、書簡の中で長岡の菓子「越乃雪」についてふれています。
(1)『鈴木牧之資料集』新潟県教育委員会 1961 新潟県文化財調査報告書 第7 記録編(N289/Su96)
p233~261「夜職草」
「旨いものを索め喰わずこらゆるが忍・・・飲酒一々に是も忍」
(2)『鈴木牧之の生涯』磯部定治著 野島出版 1997(910.2/Su96)
p113「実際に彼の衣食は質素だったらしいし、酒は飲まなかった。」
(3)『越後からの雪だより-『北越雪譜』をかいた鈴木牧之と江戸の文人たち-』松永義弘作 高田輝勲絵 PHP 1991(N289.1/Su96)
p38「うまい物をもとめて食わないのが忍…と牧之は言い、かつ実践した。」
(4)『にいがた味100選』新潟日報OBペンクラブ編 新潟日報事業社 1998(N596/N72)
p124~125「越乃雪」
「北越雪譜の鈴木牧之も「長岡の名産、雪中の玉塵」と知人にあてた書信の中で褒めちぎっている。」
5.坂口安吾 うなぎ、おけさ飯、長崎チャンポンなど。
(1)『追憶坂口安吾』坂口三千代著 筑摩書房 1995(910.2/Sa28)
p78~83「食べものと安吾」
「うなぎは来宮の「重箱」に食べにゆくのを楽しみにしていた。」
p87~91「安吾と食」
「坂口に教えてもらった料理が三つある。新潟の鮭の料理で…二つ目はおけさ飯といって、「鍋茶屋」か「行形亭」かどちらか忘れたが、お酒など飲んだあとのお茶漬として出るそうである。…三つ目は八杯汁…」
「坂口家の自慢は、自家製水羊かんであったといいます。」
(2)『坂口安吾の旅』若月忠信著 春秋社 1994(910.2/Sa28)
p165~168「史実を解く鍵は長崎チャンポン」
「安吾が好きだったという長崎チャンポンを食べるため…」
(3)『クラクラ日記』坂口三千代著 文芸春秋 1967(910.2/Sa28)
p67~103「チャプスイの味」
「チャプスイにどんな思いでがあるのか知らないが、随分まえから私に一遍チャプスイを食べさせたいと云っていた。」
(4)『日本の名随筆』11 酒 田村隆一編 作品社 1983(914.6/N71/11)
p116~127「ちかごろの酒の話 ほかニ篇」(坂口安吾)
「天プラ屋へはいった。…料理も酒も上等だから…時々ここへ行こうと思っている。」
(5)『食の文学館』第6号
p64~67「安吾と食」(坂口三千代)
p68~69「余はバイなり」(相馬正一)
「バイ貝を二人で平らげてお代わりを注文する。安吾の文には四回おかわりをしたとあるが…」
「とれたてのバイの刺身で地酒「雪中梅」(幻の銘酒の異名あり)の杯を傾けながら日本海の落日を愉しめるのも、ひとえに上杉謙信のおかげであると、安吾ならずともそう思いたくなるような滋味に富むドラマの一幕である。」
p70~71「坂口安吾の追憶の中の味」(若月忠信)
「昔食べたお焼きやいちじく湯の味、それに卵のきいたアイスクリーム、みんな、も一度食べてみたいなと思うものだ。」
p74~77「「小菊荘画譜」と当時の食物について」(村山政光)
「連日の酒盛りに安吾たちは何をさかなに飲んでいたのであろうか。…安吾が松之山へ来た頃我が家の食生活はどんなであったあろうか。…二、三書き分けて見よう。」
6.河井継之助 桜飯(=味噌漬飯)が、中山騒動との関連で多数の文献にあげられています。その一部を紹介します。
(1)『「あまカラ」抄』1 高田宏編 冨山房 1995 冨山百科文庫 (596/Ta28/1)
p236~239「粗食」(司馬遼太郎)
「継之助の藩には、藩士の家庭の食事として「桜飯」と名づけられているものがあったらしく…継之助はこのめしが好物で、かれは領内を巡視して庄屋などにとまるとき、「桜飯をふるまってくれ」とよくいったという。」
(2)『愛憎河井継之助』中島欣也著 恒文社 1986(N930/118)
p137「河井さんの肖像を掲げ、好物だったという味噌漬飯を供え…」
(3)『河井継之助の生涯』安藤英男著 新人物往来社 1987(289.1/Ka93)
p133「継之助が好物の桜飯(味噌漬の混ぜ飯)を供えたという。」
7.小林虎三郎 判明しませんが、「越乃雪」を師への贈り物にしたことが書簡に載っています。
(1)『新にいがた味100選』新潟日報OBペンクラブ編 新潟日報事業社 2001(N596/N726)
p136~137「越乃雪」
「小林虎三郎が、師で兵学者の佐久間象山への贈り物に「越乃雪」を使っていたことが書簡に載っている。」
(2)『米百俵-小林虎三郎の思想-』米百俵小林虎三郎の思想編集委員会編 米百俵小林虎三郎の思想頒布会 1975(289.1/Ko12)
p215~216「小林虎三郎よりの書信」
「副白余り軽微奉恐入候へ共国産越之雪壱箱拝呈仕候・・・」
8.徳川家康 当館所蔵資料からは判明しませんが、麦飯など食べていたもの、命じて出させたものの記述はあります。インターネットでは岡崎の八丁味噌を好物とするなどの紹介があります。
(1)『たべもの日本史』多田道太郎著 新人物往来社 1972(596/Ta16)
p74~76「初代・二代はしまり屋」
「家康は三河にいる時に、夏は麦飯を食べていた。…命じて出させたものは、麦飯に大根のまぜ塩、イナダの汁、田作、ナマス、コンニャクの煮物であった。」
(2)『イラスト版たべもの日本史』永山久夫著 河出書房新社 1998(383/N25)
p142~144「徳川家康の麦飯健康法」
「何を食べれば健康にいいのか、長生きできるのか、そして頭の若さを保つことができるのか、常にそれをわきまえながら食事をとっていた。」
「主食―麦めし。汁―実だくさんの味噌汁…」
9.伊藤博文 当館所蔵資料からは明確には判明しませんが、ふぐを食べていたとする記述があり、インターネットでも好物として紹介されています。番茶、梅漬(梅干)、食塩を入れた茶漬、粥、豆腐、フナ・コイのせごし、刺身、野菜や肉をスープで煮込んだシチュー、ぶどう酒、すき焼き、唐辛子の葉の煮物、麺類が好物だったとの情報もあります。
(1)『ふぐ百華』ふぐ百華出版委員会 1996(596/F75)
p1~6「よくぞ馬関に」(古川薫)
「伊藤博文が来関の折、騙されて河豚を食べたという伝説めいた話もある。」
10.坂本竜馬 当館所蔵資料からは明確には判明しませんが、近江屋での暗殺事件のおり、軍鶏鍋用の肉を買いにやらせたとされています。インターネットでは軍鶏鍋、皿鉢料理が好物として紹介されています。
(1)『竜馬暗殺完結篇』菊地明著 新人物往来社 2000(289.1/Sa32)
p18「空腹を覚えた竜馬は軍鶏鍋用の肉を買ってくるように依頼し、それを引き受けた峰吉が…」
(2)『坂本竜馬伝』千頭清臣著 新人物往来社 1995 日本伝記叢書 大正3年博文館刊復刻(289.1/Sa32)
p223「夜に入りて、岡本菊屋を従え、酒肴に鶏肉を購はんとて家を出る。」
(3)『坂本竜馬大事典』新人物往来社 1995(289.1/Sa22)
p75~76「かすてら カステラ」
「竜馬も当然、本場のカステラを食していたものと考えられ…」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 歴史的人物の酒の肴、好物
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 簡易な事実調査
- 内容種別
- 一般
- 質問者区分
- 一般利用者
- 登録番号
- 1000072905