レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/10/10
- 登録日時
- 2014/12/05 00:30
- 更新日時
- 2014/12/05 00:30
- 管理番号
- 6001003553
- 質問
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解決
嵐山にある亀山殿の形状について知りたい。
- 回答
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『国史大辞典 3』(国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1983.2)
p.603によると「鎌倉時代の院の御所嵯峨殿ともいう。京都市右京区嵯峨天龍寺の地にあった」と記されている。
形状に関する資料は見つからなかったが、亀山殿の位置や亀山殿に関する資料は数点あり。
・『天龍寺』(天龍寺/編 東洋文化社 1978.10)
「亀山殿」という項目があり、「亀山殿絵図」(p.20-21)が収録されている。
・『講座蓮如:第4巻』(浄土真宗教学研究所/編 平凡社 1997.7)
「中世の嵯峨と天龍寺」(原田正敏/著)という論文が収録されており、第二項目が「亀山殿から天龍寺へ」と題されている。そこに「山城国嵯峨亀山殿近辺屋敷地指図」(p.82)が収録されている。
・『日本中世住宅の研究』(川上貢/著 中央公論美術出版 2002.5)
第二編第一章が「亀山殿の考察」となっており、亀山殿の沿革や規模について書かれている。その中に『門葉記』からの引用の「亀山殿指図」(巻第97、勤行8)や「亀山殿寝殿指図」(巻第25、普賢延命法6)が収録されている。
また、指図はないが、記事の内容から寝殿の全容をうかがうことができる資料として『亀山院御灌頂記』が紹介されている。
なお、『門葉記』は『大正新脩大蔵経図像』第11巻、第12巻に、『亀山院御灌頂記』は『続群書類従:第26輯上』に収録されている。
・『大正新脩大蔵経図像:第12巻』(大正新脩大蔵経刊行会 1978)
文永5年10月23日、亀山殿において行われた蔓茶羅供に関する記述があり、上記資料の「亀山殿指図」が収録されている(p.64)。
・『大正新脩大蔵経図像:第11巻』(大正新脩大蔵経刊行会 1977)
嘉元3年8月19日の亀山法皇に関わる行事の記録があり、寝殿の部分的指図が掲載されている(p.251)。
・『続群書類従:第26輯 上』(塙保己一/編纂 続群書類従完成会 1978)
p.311-329に『亀山院御灌頂記』が収録されている。
このほか、関連資料として以下の2点がある。
・『史料京都の歴史:14』(京都市/編 平凡社 1994.1)
「亀山殿と遊宴の地」と題する項目に亀山殿に関する資料が掲載されている。
・『帝塚山大学考古学研究所研究報告:12』(帝塚山大学考古学研究所/編集 帝塚山大学考古学研究所 2010)
「亀山殿と土壙76・77の出土遺物」(鈴木久男/著)を収録。出土瓦に関する考察が記述されている。
また、インターネット上にも一般公開の論文がある。
・本中真 「亀山殿庭園における眺望行為」『造園雑誌』 47(5)(日本造園学会 1984.5)(2014.10.10現在)
摘要には「寝殿造住宅庭園における眺望行為の特性分析の一環として,本報告では亀山殿をとりあげた。まず殿舎配置
と庭園を推定復原し,建物,庭園の2カテゴリーに即して分析を行った」との記述あり。
・森 蘊 「鎌倉時代宮苑に關する研究 」『造園雑誌』 6(3)(日本造園学会 1939.12)(2014.10.10現在)
この論文の中に「亀山殿」に関する記述がある。「建築の配置に就ては、當初の模様は不明であるが、文永前後の頃に於ける殿屋の配置は大體に於て知り得る」として社殿の規模や配置について記されている。
[事例作成日:2014年10月10日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 寺院.僧職 (185 8版)
- 参考資料
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- 天龍寺 天龍寺編 東洋文化社 (18-23)
- 講座蓮如 第4巻 浄土真宗教学研究所∥編 平凡社 (81-90)
- 日本中世住宅の研究 川上/貢∥著 中央公論美術出版 (119-137)
- 大正新脩大蔵経図像 第12巻 大正新脩大蔵経刊行会 (63-65)
- 大正新脩大蔵経図像 第11巻 大正新脩大蔵経刊行会 (247-257)
- 続群書類従 第26輯 上 塙/保己一∥編纂 続群書類従完成会 (311-329)
- 史料京都の歴史 14 京都市∥編 平凡社 (441-448)
- 帝塚山大学考古学研究所研究報告 帝塚山大学考古学研究所 編集 帝塚山大学考古学研究所 12 (1-6)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌事項調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000164028