レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/7/4
- 登録日時
- 2016/04/03 00:30
- 更新日時
- 2016/04/03 09:13
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-150101
- 質問
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解決
「昭和三十九年に仙台で最初の室内リンクができると、五色沼は過去のこととして忘れ去られていった。」と資料で見たが,この「仙台で最初の室内リンク」とはどこのことか。出典資料:「日本フィギュアスケート発祥の地 仙台城跡・五色沼」『The ミヤギ』1993(1), pp.22-23
- 回答
-
次の資料に記述がありました。※【 】内は当館請求記号
『河北新報』[マイクロフィルム]河北新報社【PN071.2/カ】
1995年10月26日付夕刊3面
「仙台 八幡スケートセンター/来月から室内球技場に衣替え/ゲートボール ミニサッカー/冬季スポーツ多様化/授業での利用も半減/東北初の本格施設/競技団体「寂しい限り」」とする見出しのもとに,次の記述がありました。
「仙台市内で最も古い民間の屋内スケート場として親しまれてきた八幡スケートセンター(青葉区八幡六丁目)が十一月から、ゲートボールやミニサッカー専用の施設に衣替えする。(中略)市内の小、中学校の授業でも利用され、スケートの拠点施設であっただけに、三十一年の歴史にピリオドを打つことを惜しむ声も上がっている。八幡スケートセンターは昭和三十九年十月にオープンした。広さは約千五百平方メートルで、東北初の大規模な屋内スケート場として注目を集めた。」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 冬季競技 (784 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- スケートリンク
- 宮城県仙台市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000190710