レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年05月30日
- 登録日時
- 2017/09/09 16:03
- 更新日時
- 2017/09/28 19:57
- 提供館
- 岐阜県図書館 (2110001)
- 管理番号
- 岐県図-2393
- 質問
-
解決
岐阜県にあった陸軍の秘匿飛行場について書かれている文献(自治体史等)がないか。
- 回答
-
質問者の事前調査資料『本土航空作戦記録』第一復員局発行(国立国会図書館デジタルコレクションで公開、65コマ目)により、岐阜県内の飛行場の場所は関と大垣だったことがわかる。
関の飛行場については、『新修関市史 通史編近世・近代・現代』(関市教育委員会,1999年刊)に以下の記載がある(p.723)。
---(引用始め)--------------------------
昭和19年、食糧増産のため西田原字佐賀理の原野13~14ヘクタールを開墾したが、爆撃を避けるため飛行場の分散化が図られ、同年暮れより関町周辺の町村から勤労奉仕隊が毎日千人以上動員され、ここに双発飛行機の陸軍飛行場造りがなされた。また近くに180有余の横穴をつくり、司令部、無線局、兵舎等を加え、昭和20年4月に飛行場の完成をみた。しかし、軍事上「関牧場」と称され、秘密とされた。
---(引用終わり 漢数字は数字に変換)------------------------
大垣については、秘匿飛行場に関するものとはっきり分かる記載は見つからないが、飛行場の計画については以下の資料に記載がある。
・『大垣市史 通史編近現代』(大垣市,2013年刊)p.450
東海航空株式会社大垣工場に関する記述の中に、「荒尾林に飛行場を作り、飛行機を組み立てて一貫生産する計画があったが、同年(※図書館注:昭和20年)7月の空襲により工場が焼失した」とある。
・『水の都に火の雨が降る 大垣空襲五十年』(柳瀬博著・刊 1995年刊)p.35
「(12)東海航空機工業(株)大垣工場 荒尾町」の項目に、「本土決戦が叫ばれるようになって荒尾林に飛行場を作り、飛行機を組み立て特攻機を発進させる計画をしていた。」とある。
・『ふる里宇瑠生熱く燃えた 昭和二十年の記録 大垣空襲六十周年』(柳瀬博著・刊 2006年刊)p.80
「八、愛知航空機の疎開」の項目に、「終戦直前には荒尾林の中に飛行場を作り、飛行機を組み立てて飛ばす計画をしていた。」とある。
【その他の調査済み資料】
・『新修大垣市史 通史編2』(大垣市,1968年刊)
・『火の海からの証言 岐阜・各務原・大垣空襲の体験記』(岐阜空襲を記録する会,1976年刊)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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・『本土航空作戦記録』第一復員局発行(国立国会図書館デジタルコレクションで公開、65コマ目)
「昭和20年4月以降の状況」として、工事に着手した飛行場があげられている中に「関、大垣」と記載されている。
・『本土防空作戦』(戦史叢書)朝雲新聞社発行、1968
・Wikipedia「秘匿飛行場」
- NDC
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- 国防史.事情.軍事史.事情 (392)
- 参考資料
- キーワード
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- 陸軍-日本
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000221715