1 『飛騨人物事典』(高山市民時報社,2000年刊)には2人の「上木甚兵衛」が記載されている。
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■うわぎ・かちゅう 上木可中
生年不詳-明治36(1903)1・15
高山町長・政治経済人。名は寛。不老庵甚兵衛・不老庵可中と称する。義郷の2男。高山町会議員、郡会議員、大野郡選出県会議員を経て、明治29年7月14日~31年10月8日高山町長。飛騨鉄道敷設と電信架設などに尽力。高山銀行設立、伊鯖市場創立者の1人など高山の実業界にも活躍。茶道は堀内宗完(8代)に就く。謡曲、俳句もよくし雲橋社社中(高山市史)
…(中略)…
■うわぎ・じんべえ 上木甚兵衛
明治23(1890)1・-昭和18(1943)8・9
俳人。高山安川通りの金物商「鍵屋」。名は頴。号を可月。衰退していた俳句結社「水音社」を復興し第7世宗匠。淳風社を興し多くの門人を育てる。飛騨俳壇社を組織して俳誌『松のこぶ』発刊。郡会議員。(郷土文人遺墨展目録)
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なお、この事典で別の上木姓の人物について、『上木家系図』という資料を出典として用いているものがあったが、当館では所蔵しておらず、他の所蔵館・所蔵者も見つけることができなかった。
2 『岐阜県史 通史編近代中』(岐阜県,1970年刊)には、飛騨の鉱山業に携わった人物として上木甚兵衛が挙げられており、以下の記載がある(p.906)。
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上木甚兵衛 本業清酒醸造、一年平均造石高二五〇石、他に和洋鉄物・刃物・器械・紙類等の商いも行っていた。以上あわせて年間売上額およそ八〇〇〇円。また同人は明治六年飛騨国生絲改所取締、一三年高山生糸改所取締、高陽会取締、一九年岐阜県蚕糸組合取締等々を歴任し、生糸取引・製紙の面でも活発な活動を行っている。
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『飛騨人物事典』の上木可中と同一人物か(明示する資料は見つけられず)。
3 明治24年の「高山町商工人名」(『岐阜県誌』p.828~829)には「酒造業 三ノ町 上木甚兵衛」と「鉄物商 安川通 上木甚兵衛 支店」と、2つ「上木甚兵衛」の名がある。前者は酒造業とあることから『岐阜県史』掲載の上木甚兵衛か。後者は、『飛騨人物事典』掲載の「鍵屋」上木甚兵衛の先代にあたる人物か(「支店」とあるので、酒造業の上木甚兵衛と同じ人物の可能性あり)。