レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年06月16日
- 登録日時
- 2013/10/20 17:26
- 更新日時
- 2013/12/04 15:46
- 管理番号
- 中央-1-00615
- 質問
-
解決
江戸時代に北海道東部(釧路、根室、網走)から本州向けに森林伐採が行われたことについて書かれた資料はあるか知りたい。
- 回答
-
以下の資料を埼玉県外の図書館から取り寄せて提供した。
『新釧路市史 第1巻 自然・先史編・近代編・政治・行政編』 釧路市 1974
『網走市史 上巻』 網走市史編纂委員会/編 網走市 1958
『根室市史 上巻』 渡辺茂/編著 根室市 1968
『新北海道史 第2巻 通説』 北海道 1970
- 回答プロセス
-
・キーワード“森林伐採”で市内蔵書検索
『シリーズ日本列島の三万五千年-人と自然の環境史 4 島と海と森の環境史』 湯本 貴和/編 文一総合出版 2011
p.82に「北海道の歴史を振り返ると、十八世紀初頭まで木材伐採は自由放任の状況であったといってよい」との記載あり。
p.71~89の「第4章 北の水産資源・森林資源の利用とその認識」、p.91~111の「第5章 北海道の開拓と森林伐採」には、質問に関する内容は無し。
・キーワード“北海道”&分類“65*”、“北海道&林業”、“江戸&林業”、“森林”で市内蔵書検索したが、質問に合う資料は見つからず。
・埼玉県立図書館Web-OPACで林業に関する資料を検索
『北海道産業史』 大沼盛男/編著 北海道大学図書刊行会 2002
p.113に「林業は、明治維新以後の北海道開拓とともに始まった」と記載あり。
p.113~114に「明治維新前は道南地方を中心に松前藩が留山をつくるなど、ある程度の林政を展開していた。(略)北海道の大半は無主地のまま原生林で覆われていた」と記載あり。
・GeNiiで“飛騨屋久兵衛”検索したところ、次の論文、図書があったが内容は確認できず。
大石慎三郎「蝦夷地林業の創始者 飛騨屋久兵衛 1」『徳川林政史研究所研究紀要(昭和60年度)』p.1~9,1986-03
大石慎三郎「蝦夷地林業の創始者 飛騨屋久兵衛 2」『徳川林政史研究所研究紀要(昭和62年度)』p.1~11,1988-03
『北海道開発郷土の先覚者:飛騨屋久兵衛概略』 下呂町教育委員会 1900
・国会図書館に協力レファレンスを依頼したところ、次の資料を紹介してもらった。
『日本史大事典』第5巻. 平凡社, 1993
p.1030「飛騨屋久兵衛」『日本歴史地名大系』第1巻 (北海道の地名) 平凡社, 2003
pp.1484-1485「アッケシ場所」松前町史編集室 編『松前町史』通説編・第1巻下 松前町, 1988
p.286 享和三年(1803)になると「久寿里」(釧路)の「唐桧」の伐出についての記録がみえることが紹介されている。厚岸町史編集委員会 編『新厚岸町史』通史編・第1巻 厚岸町, 2012
p.475 『北海随筆』(元文四年成立)に、享保八年(1723)以前から辻文左衛門という商人がアッケシで帆柱用の木材を伐採し、江戸に廻走していたことがわかる記述があることが紹介されている。三ツ木芳夫「飛騨屋久兵衛の企業者活動とその経営環境に関する研究」 (札幌大学女子短期大学部論文集編集委員会編 『地域・情報・文化 : 札幌大学女子短期大学部創立30周年記念論文集』第3輯 札幌大学女子短期大学部, 1999 pp.96-132
p.118に「蝦夷檜山の開発は元禄15年(1702)に飛騨屋初代倍行に西蝦夷地の尻別檜山伐採を請け負わせたことに始まるが、その後、享保から宝暦期にかけて、東蝦夷では、日高の沙流、釧路、厚岸、西蝦夷では石狩、夕張、天塩等の蝦夷檜山の開発が進められたが、この間これら蝦夷檜山の伐採・販売事業を一手に請け負ったのが初代から三代にわたる飛騨屋久兵衛であった」とあり。平塚 剛「武川久兵衛家文書の紹介--飛騨屋久兵衛四代に渡る蝦夷軌跡」(『岐阜県歴史資料館報』岐阜県教育文化財団歴史資料館 (32) 2009.3 pp.136-210)
p.141には、飛騨屋久兵衛(初代倍行)が、東蝦夷地の沙流・久寿利・厚岸・臼(有珠)、西蝦夷地の石狩・勇張(夕張)・天塩などの蝦夷松や海産物を、持ち船で江戸や大坂へ輸送したことがみえる。
p.144-145には、飛騨屋久兵衛(二代目倍安)が、厚岸山での伐採請負についての記述があり。
・利用者より、もっと具体的な内容がほしい、『弟子屈町史』などを見てほしいなど申し出があったので、北海道立図書館に協力レファレンスを依頼したところ、北海道の林業史を総括するような資料も見たが、江戸期にまで記述がおよんでいるものは確認できなかったとの回答あり。次の資料について教えてもらった。
『弟子屈町史』 弟子屈町史編さん委員会編集 弟子屈町役場 1981
明治以前の詳細な記述は無し。
『新釧路市史 第1巻 自然・先史編・近代編・政治・行政編』 釧路市 1974
p.295~317の「第二章 場所請負制度と釧路場所」に、享保三年に蝦夷桧山材の伐採を請け負った飛騨屋久兵衛が釧路場所に着手し、木材を江戸・大坂に積み出していたが、木材の価格低落等により、やがて漁業商いに転じたことや、下北地方からの出稼ぎま杣夫が労働力となっていたことなどの記述あり。
p.351~352の「第三章 幕府直轄と釧路 第五節 釧路場所の漁業」に「木材の衰退」の項目あり。
『網走市史 上巻』 網走市史編纂委員会/編 網走市 1958
p.106に「4 飛騨屋久兵衛の請負」あり。
p.604~901に「5 材木の保護」、「6 網走の漆樹林」あり。
『根室市史 上巻』 渡辺茂/編著 根室市 1968
p.46~48の「第一編 幕藩時代 第三節 場所請負制度」に飛騨屋の請負についての記述あり。
『新北海道史 第2巻 通説』 北海道 1970
p.244の「蝦夷檜山」に、飛騨屋久兵衛の寛延三年から五か年間の厚岸山林請負についての記述あり。
p.873の「材木の保護」に、材木の濫伐等により山林が荒廃したので、箱館奉行が安政年間に樹木の保護に関する布令を出し、それと関連して、北見紋別場所が出した門松を制限する申渡しが紹介されている。
- 事前調査事項
-
利用者からの情報は次のとおり。
・『松前町史年表』(松前町,1997)のp.125に、「飛騨屋久兵衛倍行松前渡来。東蝦夷地尻別の蝦夷ひのきの伐採をして江戸に送り、のち、東蝦夷地の沙流久寿里、厚岸、西蝦夷地の石狩、夕張、点塩等の山々も切り出す」と書かれており、このことについての出典は『村山家履歴家譜』と書かれている。
・飛騨屋久兵衛という人物が行っていたらしい。「飛騨屋久兵衛物語 北海道林業の創生期」(http://blog.canpan.info/sinrinkankyo/img/hidaya.pdf(2013.10.20最終確認))に記述がある。
・『厚岸道有林のあゆみ』(厚岸道有林管理センター,平成14年3月)に、「別寒辺牛川付近の木を江戸時代に伐採し、木が無くなってしまった」と書かれている。
- NDC
-
- 日本史 (210 9版)
- 北海道地方 (211 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 江戸時代
- 飛騨屋久兵衛
- 森林伐採
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000139256