レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年05月05日
- 登録日時
- 2013/05/05 15:36
- 更新日時
- 2018/03/07 16:49
- 管理番号
- 14977
- 質問
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四国遍路の起源について書かれている「梁塵秘抄 巻二」、「今昔物語集 巻第三十一」を見たい。
- 回答
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次の所蔵あり。
・新日本古典文学大系 56 梁塵秘抄 佐竹昭広/〔ほか〕編集 岩波書店 1993.6(9180/ N5/ 2-56)
※p.84-87 『梁塵秘抄』巻二の三百一
・新日本古典文学大系 35 今昔物語集 3 佐竹昭広/〔ほか〕編集 岩波書店 1993.5(9180/N5/2-35)
※p.470-475『今昔物語集』巻第三十一
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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・「空海密教と四国遍路~マンダラの風光」(K1885 K3 2277)
※p.250-252「四国遍路の歴史(白木利幸)」の「四国遍路の起源」の項に「梁塵秘抄 巻二」、「今昔物語集 巻第三十一」が紹介されている。
- NDC
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- 各宗 (188)
- 参考資料
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武田和昭 著. 四国辺路の形成過程. 岩田書院, 2012.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I023383227-00 , ISBN 9784872947229 (日販マーク内容紹介:仏教美術を学んだ著者が、四国内に残された辺路関係の石造建造物や納経帳などを調査。「四国辺路原形の諸相」「四国辺路の弘法大師信仰と阿弥陀・念仏信仰」など、各誌に発表
した論考を中心に全5篇で構成。)
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武田和昭 著. 四国辺路の形成過程. 岩田書院, 2012.
- キーワード
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- 巡礼(仏教)
- 寺院-四国地方
- 四国霊場八十八か所をめぐる四国遍路の成り立ち
- 江戸時代に「四国遍路中興の祖」とされる真念という僧が札所番号を決めた
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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(関連情報)※愛媛県生涯学習センターHPより。
・データベース「えひめの記憶」書籍一覧(『ふるさと愛媛学』調査報告書)
四国遍路のあゆみ(平成12年度)
第1章 四国遍路の成立と展開
第1節 四国八十八ヶ所のおこり
1 四国遍路の起源
http://ilove.manabi-ehime.jp/system/regional/index.asp?P_MOD=2&P_ECD=1&P_SNO=10&P_FLG1=2&P_FLG2=1&P_FLG3=1&P_FLG4=1
に次の記述あり。
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(1)四国の辺地 ―四国遍路の原形―
ア 四国の辺地
日本において、巡礼という言葉は、少なくとも平安時代前期には使われていた。天台僧円仁(794~864)が彼の中国求法記のタイトルに『入唐求法巡礼記』と題したのが、日本におけるその語の初見であるともいわれている。(②)
そうだとすれば、巡礼の形式はともかくとして、巡礼という概念は、平安時代にはすでに我が国に入り、それらしいことがどこかで行われていたと考えられる。
四国遍路の原形ともいえる四国の山野を巡り歩く信仰の行を証拠立てるものとしては、多くの論者は一般的に『今昔物語集』と『梁塵秘抄(りょうじんひしょ)』に出てくる二つの史料を挙げている。
平安時代の末期、院政期と呼ばれる時代に書き残された『今昔物語集』巻三十一には、「通四国辺地憎行不知所被打成馬語第十四」(四国の辺地を通る僧知らぬ所へ行きて馬に打ち成さるる語第十四)と題する説話があり、この話は次のようにはじまる。
今昔(いまはむかし)、仏(ほとけ)ノ道(みち)ヲ行(おこなひ)ケル僧三人伴(そうみたりとも)ナヒテ
四国(しこく)ノ辺地(へんぢ)ト云(いふ)ハ伊予(いよ)、讃岐(さぬき)、阿波(あわ)、土佐(とさ)ノ海辺(うみのほとり)ノ廻也(めぐりなり)(③)
また、同じく平安時代末期にまとめられた『梁塵秘抄』巻二の三百一には次のような今様歌がある。
われらが修行せし様(やう)は
忍辱袈裟(にんにくけさ)をば肩に掛け
また笈(おひ)を負ひ
衣(ころも)はいつとなくしほたれて
四国の辺地(へち)をぞ常に踏む(④)
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※なお、次の所蔵あり。
・四国遍路のあゆみ 遍路文化の学術整理報告書 愛媛県生涯学習センター/編 愛媛県 2001.3 (K1885/ E7/)
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000131022