レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年07月21日
- 登録日時
- 2013/10/01 12:01
- 更新日時
- 2013/10/03 15:20
- 管理番号
- 2013.10-10
- 質問
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解決
沈没したロシアの船「ナヒモフ号」に関する資料はあるか。
- 回答
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①『壱岐・対馬と松浦半島』
日露戦争と対馬の関わりについて書かれた中に、
一九〇五年五月二十八日、日本海軍との海戦に敗れたロシアのバルチック艦隊のアドミラル・ナヒモフ号の乗員が茂木浜に上陸したことが書かれている。
「ナヒモフ号の乗員のなかに金貨を多数所持していた者がいたことから、ナヒモフ号は金塊を積んでいたとの風聞が立ち、その後何度も引き上げが試みられたが成功せず、真偽のほどはわからない」とある。
②『対馬古跡探訪』
対馬の茂木浜について書かれた中に、
「明治三十八年五月二十八日、日本海海戦に敗れたロシア艦隊の戦艦アドミラル・ナヒモフ号が、琴崎の東方三浬の所に沈没した」とある。
このとき茂木浜に上陸した生存者が多額の金貨を所持していたことから、艦には巨億の金塊が積んであったとされ、
「そのために、ナヒモフ号引き揚げ作業が三〇年来つづいてきた」とある。
③『船の科学』 2000年5月号
海洋随筆「海難と戦没」落ち穂拾い(6)の中に、「アドミラル・ナヒモフ号の沈没」と題した文章がある。
1986年8月31日、クルーズのためにソ連のノヴォロシースク港を出港したアドミラル・ナヒモフ号が、大型の船に衝突されて沈没し、多数の犠牲者が出たことが書かれている。
ただし、この記事にあるアドミラル・ナヒモフ号は、1925年に完成したベルリン号がその後改修され名前が変わったものとなっているので、①②の資料のアドミラル・ナヒモフ号とは別の船と考えられる。
- 回答プロセス
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Googleブックスでの検索で、資料①②がわかった。
Webcat Plusでの検索で、資料③がわかった。
質問者も沈没の時期など確かな手がかりをお持ちでなかったため、別の船と考えられる①②と③の両方の資料を提供した。
③の記事の末尾に参考文献が挙がっているが、日本語の資料はなかったため調査していない。
- 事前調査事項
- NDC
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- 航海.航海学 (557)
- 参考資料
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①佐伯弘次 編. 壱岐・対馬と松浦半島. 吉川弘文館, 2006. (街道の日本史 ; 49)
p.153~154 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008146894-00 , ISBN 4642062491 -
②永留 久恵. 対馬古跡探訪. ジャパン・パブリッシャーズ, 1977. (新民俗文化叢書)
p.306~307 - ③船舶技術協会. 船の科学 2000年5月号 p.78~80
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①佐伯弘次 編. 壱岐・対馬と松浦半島. 吉川弘文館, 2006. (街道の日本史 ; 49)
- キーワード
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- アドミラル・ナヒモフ号
- 船舶
- 沈没
- ロシア
- ソビエト連邦
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000137686