レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/08/17
- 登録日時
- 2014/03/30 00:30
- 更新日時
- 2014/05/09 11:38
- 管理番号
- 北方 13-0237
- 質問
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解決
明治-大正期の弁護士仁平豊次について質問
1.『札幌紳士録』に「被囚徒百三十余名を開墾に従事せしめ彼等をして衣食に不自由なからしめたり」とあるが、その裏付け資料はないか。
2.仁平は、明治20年代「岩見沢町字川向」に土地を所有していたと思われる。その理由は、川向土功組合の創立にあたっているからである。そこで、その土地の所得関係、地目、面積等。
3.仁平は、大正前期幌内村(雄武町)に牧場を所有していた(雄武町百年史731頁)。その土地の取得関係、地目、面積。
●その質問の出典や情報源、調査済み事項など
『札幌紳士録』、『北海道人物誌』、『近世北海道行刑史』、『岩見沢川向土功組合紀要』、『雄武町百年史』、『雄武町の歴史』
照会機関:北海土地改良区、雄武町。
- 回答
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1.『札幌紳士録』の記述の裏付けとなる資料
会長をしていた札幌弁護士会記念誌、札幌の教会に関する資料、及び学校長をしていた北星学園についての関係資料などを見たが、記載なし。
『札幌弁護士会百年史』(資料1)のp46の記述が最も詳しく、「その一方で出獄人保護の目的で岩見沢に農牧場を経営し、被面囚徒に開墾させ、さらに明治三五年には岩見沢川向土功組合を作り水田を開墾したり、千勝煮と称する缶詰の製造を発明したりしている。」とあり。 出典は明記されていない。
これ以外は『札幌紳士録』(資料3)と同内容の記述もしくは簡易な内容のため、裏付けとなる記述およびその手がかりとなる資料は見つからず。
2.岩見沢町字川向で所有していた土地について
岩見沢市の市史、土功組合の資料、地主に関する資料等を見たが、個々の地主の所有地について書かれている資料を見つけることはできず。
『空知支庁管内拓殖一班』 (資料2)に地主の一覧が載っているが、それに仁平の名はない。
3.大正前期幌内村(雄武町)に牧場を所有していた事について
『雄武町百年史』(資料7)p.731にある雄武町の主な民有牧場は、典拠は『北海道庁統計書 第26回 第2巻 勧業之部』(資料8) p.164。
内容としては所有面積の内訳が載っているが、『雄武町百年史』と同じ。
その発行年前後の『北海道統計書』を見るが、仁平牧場の名前は第26回にしか、載っていない。
『網走支庁拓殖概観 大正5年版』(資料2)などの網走管内の統計書類を見るが、民有牧場の一覧の中に、仁平の名前は確認できず。
『北海道庁統計書 第26回』に載っている内容は以下の通り(表71より該当部分を抜粋し、項目名を補記)。
仁平牧場 所在地:紋別郡幌内村 面積 放牧地 2,679,790 牧草地 232,808 穀菜畑 60,904 其他 282,715 計 3145,217 (単位は坪)
飼畜数 馬 3
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 7版)
- 参考資料
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- 1 札幌弁護士会百年史 札幌弁護士会 1983.7 327.14/SA/イ p.46
- 2 北海人物評論 吉田 重貞∥著 吉田重貞 [1901] 281/Y p.95
- 3 札幌紳士録 札幌紳士録編纂会∥編 札幌紳士録編纂会 1912 281.561/SA p.60-61
- 4 北海道人名辞書 金子 郡平∥共著 高野 隆之∥共著 北海道人名辞書編纂事務所 1914 281.03/KA p.603
- 5 岩見沢町川向土功組合紀要 岩見沢町川向土功組合∥編 岩見沢町川向土功組合 1915 614.3/I
- 6 雄武町の歴史 日塔 聡∥編著 雄武町役場 1962 211.51/O/イ p.724
- 7 雄武町百年史 雄武町史編纂委員会∥編集 雄武町 2006.3 211.51/O p731
- 8 北海道庁統計書 第26回 第2巻 勧業之部 北海道∥編 北海道 1916 351/HO/26-2 p.164
- 1 網走支庁拓殖概観 大正5年版 北海道網走支庁∥編 北海道網走支庁 1917 333.915/HO/T5-ハ
- 2 空知支庁管内拓殖一班 北海道空知支庁∥編 北海道空知支庁 1918 351.51/HO/イ
- キーワード
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- 地主
- 仁平豊治
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事項調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000151539