レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/02/13
- 登録日時
- 2009/03/12 02:10
- 更新日時
- 2009/03/12 02:10
- 管理番号
- 千県西-2008-0003
- 質問
-
未解決
落語「紺屋高尾」が作られたのはいつ頃か。
- 回答
-
はっきりといつ頃から演じられるようになったか分かる資料は見つからなかった。1816年頃以降ではないかと思われる。
- 回答プロセス
-
県立図書館所蔵検索にてフルテキストで「紺屋高尾」を検索すると以下の4点がヒットし、内容を確認するが話の成り立ちについての記述は特になし。
『円生全集 第9巻』
おもちゃ屋の馬生(五代目金原亭馬生)から教わったとある。
『立川談志遺言大全集1』
六代目三遊亭円生と五代目一龍斎貞丈が元々演じていたとある。
『立川談志独り会 第5巻』
上記と同じ。
『古典落語四〇〇年特選集』
昭和初期に篠田実の浪曲になり、映画化もされたという記述がある。
上記以外で県立図書館で所蔵している落語関係の資料をいくつか調べたが、『口演速記明治大正落語集成 第4巻』の中に落語雑誌『百花園』に掲載された落語の速記録が収録されている。『百花園』255号(明治31年10月3日付)に四代目柳亭左楽が演じたものが『紺屋の思染め』という題で収録されていた。
NDL-OPACの雑誌記事索引を検索すると「廓ばなしの系譜--油屋与兵衛・紺屋高尾・幾代餅 (廓(くるわ)のすべて--秘められた世界の光と影<特集>)」という記事が見つかった。それによると、もともとは中国の説話「売油郎独占花魁」という話が1700年代後半に翻訳された『通俗赤縄奇縁』等が日本で広まり、それを大阪の 司馬芝叟が1816年頃に長咄「売油郎」に翻案した。それが上方の落語「油屋与兵衛」となり、やがて江戸で翻案されて「紺屋高尾」と「幾代餅」になった、ということだった。
- 事前調査事項
-
『増補落語事典』/東大落語会 編/青蛙書房/1979/p.193
『日本史小百科 遊女』/西山松之助 編/東京堂出版/1979
高尾とは吉原の遊郭三浦屋に伝わる太夫の名跡。モデルになった駄染高尾が存在したのは享保あたりのよう。
『古典落語四〇〇年特選集』/桂文楽・春風亭柳橋 監修/新風出版社/1968
- NDC
-
- 大衆演芸 (779 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 落語
- 紺屋高尾
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000052284